Tuesday, August 05, 2008
第一言語と第二言語
日本語を勉強している外国人に質問されて困った経験はないだろうか。例えば、「私は英語が勉強している」という文は間違いで「私は英語を勉強している」が正しい。それをその人に言うと「それではなぜ間違いなのですか?」という質問が返ってくる。ここで非常に困ってしまう。「そういう言い方はしないんだよ」「なぜですか?」と延々と押し問答が続く。
もしくは、こちらが「I go Tokyo」と言うと「それはI go to Tokyoだよ」と英語のネイティブスピーカーに直され、「ふむふむ、そうなのかgoにはtoが必要なのだな」と思って、「I go to home」と言うと今度は「I go homeだ」と直される。「なぜなんだ?」とそのネイティブに聞いても「homeの場合はtoをつけないんだよ」としか説明がされず、頭の中にはハテナマークがたくさん回っている。
これが第一言語と第二言語の違いである。第一言語の場合は、経験的にその言語をマスターしているので理屈はわかっていない。これは暗記の手法に近い。「私は~をしている」という文を何万回、何億回と聞いたり使ったりしたことがあるので、「私は英語を勉強している」という文を考えずとも自然に作れるのである。だから「なぜだ?」と言われても答えられない。
しかし第二言語を学ぶ際に、第一言語のように考えないで文を作れるようになろうと思うと膨大な時間がかかる。我々がネイティブのように経験的に学ぶやり方で英語を学ぼうとするなら、とてもじゃないが、数年の留学ではおっつかない。毎日24時間英語漬けという環境を少なくても10年ぐらいは必要なのではないか。子供であればもっと短いだろうが。それぐらい「経験的に」学ぼうとすることは効率が悪いのである。
僕が英会話スクールで教えていた際に感じたのがこの「第一言語的な英語習得」の限界だった。授業に来て毎週1時間英語を話すだけでは絶対量が足りなすぎる。週2回にしても大した違いはない。この方法では英語をマスターできるわけないのだ。もっと近道を進まなければ到底無理である。
その近道が文法・語彙であることは僕にはわかっていた。例えば、ネイティブが「go」という動詞の使い方をマスターするのに、いろんな例文を生活の中で聞いてじっくりとマスターしていくところを「goは後ろが名詞の場合にはtoが必要です。homeは副詞なのでtoはいりません」と最初にルールをカンニングしてしまえばいいのである。子供は吸収力、順応力に優れているが、大人は逆に論理的思考、応用力に優れている。第二言語を大人がマスターするには、これしかない。そんな信念の元に我々は学校を開いたわけである。
文法というとめんどくさい、難しそうと思う人が多いとは思うが、はっきり言って経験的に英語を学ぶのと比べるとはるかに簡単で、近道である。それに多くの人が気付いてくれればと思う。
もしくは、こちらが「I go Tokyo」と言うと「それはI go to Tokyoだよ」と英語のネイティブスピーカーに直され、「ふむふむ、そうなのかgoにはtoが必要なのだな」と思って、「I go to home」と言うと今度は「I go homeだ」と直される。「なぜなんだ?」とそのネイティブに聞いても「homeの場合はtoをつけないんだよ」としか説明がされず、頭の中にはハテナマークがたくさん回っている。
これが第一言語と第二言語の違いである。第一言語の場合は、経験的にその言語をマスターしているので理屈はわかっていない。これは暗記の手法に近い。「私は~をしている」という文を何万回、何億回と聞いたり使ったりしたことがあるので、「私は英語を勉強している」という文を考えずとも自然に作れるのである。だから「なぜだ?」と言われても答えられない。
しかし第二言語を学ぶ際に、第一言語のように考えないで文を作れるようになろうと思うと膨大な時間がかかる。我々がネイティブのように経験的に学ぶやり方で英語を学ぼうとするなら、とてもじゃないが、数年の留学ではおっつかない。毎日24時間英語漬けという環境を少なくても10年ぐらいは必要なのではないか。子供であればもっと短いだろうが。それぐらい「経験的に」学ぼうとすることは効率が悪いのである。
僕が英会話スクールで教えていた際に感じたのがこの「第一言語的な英語習得」の限界だった。授業に来て毎週1時間英語を話すだけでは絶対量が足りなすぎる。週2回にしても大した違いはない。この方法では英語をマスターできるわけないのだ。もっと近道を進まなければ到底無理である。
その近道が文法・語彙であることは僕にはわかっていた。例えば、ネイティブが「go」という動詞の使い方をマスターするのに、いろんな例文を生活の中で聞いてじっくりとマスターしていくところを「goは後ろが名詞の場合にはtoが必要です。homeは副詞なのでtoはいりません」と最初にルールをカンニングしてしまえばいいのである。子供は吸収力、順応力に優れているが、大人は逆に論理的思考、応用力に優れている。第二言語を大人がマスターするには、これしかない。そんな信念の元に我々は学校を開いたわけである。
文法というとめんどくさい、難しそうと思う人が多いとは思うが、はっきり言って経験的に英語を学ぶのと比べるとはるかに簡単で、近道である。それに多くの人が気付いてくれればと思う。
Labels: MASAKI