Sunday, September 14, 2008
脱・直訳
よく生徒の方に言われる質問がある。「同期って英語でなんて言うんですか?」
同期・・・日本だと同期入社というのは結びつきが強くて、すごく仲がいいことが多い。会話のときにその同期との話をしようとしてはたと止まってしまうわけである。それで僕もはたと思う。はて、オーストラリアで同期なんて話を聞いたことがあったのかな、と。もちろんそのときは学生だったわけだが、経営のクラスなんかだと働きながらきてる人が半分ぐらいいたからそんな話聞いててもおかしくないのだが。
結論から言うと、「同期入社」という言葉は英語にはない。いや、正確にはこのように簡単には言えないわけで、関係代名詞を使って「一緒の年に一緒の会社に入った友達」というふうに言うしかないのである。終身雇用ではない外国では、同じ年に入ったことにそれほど重みはないのだろう、と思う。だから、この言葉が出てくる頻度も低いし、簡単に言う言葉も生まれてこない。文化的なことが関係している。このように日本語では簡単に言えることが英語では簡単に言えないこともある。そういうことを考えても直訳というのは無理であるというのは明らかである。
直訳の悪癖がある人は、例えば「勤続何年?」というのを「What is the term of your continuous employment?」というようなことを言ってしまいそうになる。もちろんこんな英語は堅苦しすぎて、会話でこんなことを言ってみたら外人はふき出すとは思うが、直訳をしなければ、という強迫観念のようなものを持っているとこうなってしまいがちである。これは日本の教育も悪い。はっきり言って学校の英語の教師の頭が堅すぎて定められた答え以外は認めないシステムになってしまっている。英語ではないが、高校のとき「北朝鮮の首都はどこか?」という問題で「平壌」と答えたら×になった。答えは「ピョンヤン」だそうだ。ジョークを言っているのかと思って質問に行ったのだが大真面目で僕の解答が○になることはなかった。wikipediaを見るまでもなく、ピョンヤンを漢字で書くと平壌なのだが。
話がそれた。このように文化的なことなどが原因で、日本語で簡単に言えることが英語では言えなかったりその逆もある。例えば、「mortal」という単語があるのだが、意味をご存知だろうか。この単語を初めて知ったときにはびっくりしたのだが、これは形容詞で「死ぬ運命にある、死ぬ事になっている」という意味である。何たる単語か、たぶん宗教的なことが背景にあるんだろうと思う。死ぬとかそういう言葉が仏教ほどタブーではないということに遠因があるのだろう。
ある日本語の文を英語にしようとすればその人によって文は少しずつ違ってくるわけである。そしてそのどれもが正解であったりする。結局違う言語であるので、直訳には無理があり、文を作り上げるのは自分自身。頭を柔らかく、インターネットの翻訳サイトのように変な英語にならないように気をつけたいものだ。そのためには、まず日本語の言葉ひとつひとつを捕まえて英単語にしていくのではなく、文全体で言いたいことは何か、をとらえて英語にすることだろうと思う。映画の字幕を見ててもえらい長いセリフを言っていたのに字幕が「そうなんだ」とやたら短くなっていることがあるが、あれは翻訳する人が手を抜いているのではなく、文のエッセンスをとらえて日本語に翻訳しようという努力の賜物である。あの感覚を勉強していくとより自然な英語を話せるようになるのではないだろうか。
同期・・・日本だと同期入社というのは結びつきが強くて、すごく仲がいいことが多い。会話のときにその同期との話をしようとしてはたと止まってしまうわけである。それで僕もはたと思う。はて、オーストラリアで同期なんて話を聞いたことがあったのかな、と。もちろんそのときは学生だったわけだが、経営のクラスなんかだと働きながらきてる人が半分ぐらいいたからそんな話聞いててもおかしくないのだが。
結論から言うと、「同期入社」という言葉は英語にはない。いや、正確にはこのように簡単には言えないわけで、関係代名詞を使って「一緒の年に一緒の会社に入った友達」というふうに言うしかないのである。終身雇用ではない外国では、同じ年に入ったことにそれほど重みはないのだろう、と思う。だから、この言葉が出てくる頻度も低いし、簡単に言う言葉も生まれてこない。文化的なことが関係している。このように日本語では簡単に言えることが英語では簡単に言えないこともある。そういうことを考えても直訳というのは無理であるというのは明らかである。
直訳の悪癖がある人は、例えば「勤続何年?」というのを「What is the term of your continuous employment?」というようなことを言ってしまいそうになる。もちろんこんな英語は堅苦しすぎて、会話でこんなことを言ってみたら外人はふき出すとは思うが、直訳をしなければ、という強迫観念のようなものを持っているとこうなってしまいがちである。これは日本の教育も悪い。はっきり言って学校の英語の教師の頭が堅すぎて定められた答え以外は認めないシステムになってしまっている。英語ではないが、高校のとき「北朝鮮の首都はどこか?」という問題で「平壌」と答えたら×になった。答えは「ピョンヤン」だそうだ。ジョークを言っているのかと思って質問に行ったのだが大真面目で僕の解答が○になることはなかった。wikipediaを見るまでもなく、ピョンヤンを漢字で書くと平壌なのだが。
話がそれた。このように文化的なことなどが原因で、日本語で簡単に言えることが英語では言えなかったりその逆もある。例えば、「mortal」という単語があるのだが、意味をご存知だろうか。この単語を初めて知ったときにはびっくりしたのだが、これは形容詞で「死ぬ運命にある、死ぬ事になっている」という意味である。何たる単語か、たぶん宗教的なことが背景にあるんだろうと思う。死ぬとかそういう言葉が仏教ほどタブーではないということに遠因があるのだろう。
ある日本語の文を英語にしようとすればその人によって文は少しずつ違ってくるわけである。そしてそのどれもが正解であったりする。結局違う言語であるので、直訳には無理があり、文を作り上げるのは自分自身。頭を柔らかく、インターネットの翻訳サイトのように変な英語にならないように気をつけたいものだ。そのためには、まず日本語の言葉ひとつひとつを捕まえて英単語にしていくのではなく、文全体で言いたいことは何か、をとらえて英語にすることだろうと思う。映画の字幕を見ててもえらい長いセリフを言っていたのに字幕が「そうなんだ」とやたら短くなっていることがあるが、あれは翻訳する人が手を抜いているのではなく、文のエッセンスをとらえて日本語に翻訳しようという努力の賜物である。あの感覚を勉強していくとより自然な英語を話せるようになるのではないだろうか。
Labels: MASAKI