Monday, July 14, 2008
留学のすすめ
これを読んでくれている方のなかには海外で勉強しようと思っている方もいると思う。そこで、参考のために僕自身の留学の話について今回は書きたい。
僕は学生時代から英語が好きだったわけでもなく、どちらかというと苦手で、海外への憧れも皆無だった。そんな僕がなぜ留学することになったのか?ということをまず説明したい。
通っていた高校は附属の大学もついていて、とにかくほぼ全員が大学へ行くという状況だった。大した哲学も人生のプランもない僕も当然それにならって、なんとなく大学へ行くつもりでいた。けれど、まず何が勉強したいのか、よくわかっていなかった。そして、そのころバイトをしていたのだがバイト先には大学生が多く、その人たちや同じように大学生だった兄を見ていて、大学で何かが身につくとはどうしても思えなかった。将来を考えると、大学に行ったところでおそらく「卒業した大学名」だけしか実質役に立つモノは得られないだろう。でも僕には学歴社会というどうにもナンセンスなものが未来永劫続くとは思えなかったし、大学名だけを頼りに、人生渡り歩いていけるものとはとうてい思えなかった。
人生で武器になるような何かがないと将来生きていけない、そして高校を卒業したらまずはそのような能力・武器を身につけてから社会に出るべきだ、と僕は結論を出した。そしてそれは大学では絶対に得られない。このまま流されて大学へ行けば、大学でも大半の大学生のように遊びまわって、気付けば何も得られないまま就職を迎えるんだろう。
その旨を父親に言った。大学には行きたくない。例えば、調理師とかきちんと人生を通じて使えるような能力を僕は身に付けたいのだ、と。それまで、人生を通じて、父に「あれやれ、これやれ」と言われたことは一度もなかった。僕がやりたいことであれば、父はいつも快く承諾してくれる人なのだ。
ところがこのときは、はっきりと静かに言った。「大学には行きなさい」。
人生を通じて使える能力を身につけたい、けれど大学には行かないといけない、この条件を満たすのが留学だったのである。海外で大学に行けば、僕は少なくとも「英語」という武器を手に入れることができる。
こうして、僕は留学することになった。
留学をして、学んだ事はたくさんある。まずは人間としてタフになることができた。留学生にはいろいろな人がいて、勉強などは二の次で遊びまわっている人も多い。そのなかで、まずは大学に無事入って、単位を落とさずに3年で出ないといけないという条件の僕は、人に惑わされずにストイックに目標へ向かって一人で努力することを学んだ。
そしてオーストラリアという国の文化を肌で感じることによって、日本のよさもわかったし、日本のおかしいところもわかった。日本にいると「これが普通だ」と信じ込んでいたものが全然違ったりする。2つの国の文化はもちろん、他の国の留学生からは他の国の文化を勉強できるし、僕はそれらを吸収・理解して自分なりの価値観を構築することができた。たぶん、いろいろな国を見れば見るほど、自分なりのバランスのとれた価値観が身についていくのだろう。
留学をして本当によかったと思う。時間とお金が許せば、また大学院にでも行きたい気持ちはあるが、現実的には仕事のこともあるし無理な話だ。ただ、生徒が留学していくのを見るのは楽しい。人間的にも一回り成長して、そして英語的にも爆発的に伸びてほしいと願っている。もちろん、英語が爆発的に伸びるためには、留学する前にしっかりと下地を日本で作る必要があるわけで、そこを教えるのが僕の役割であり、英即校の使命であると思っている。
僕は学生時代から英語が好きだったわけでもなく、どちらかというと苦手で、海外への憧れも皆無だった。そんな僕がなぜ留学することになったのか?ということをまず説明したい。
通っていた高校は附属の大学もついていて、とにかくほぼ全員が大学へ行くという状況だった。大した哲学も人生のプランもない僕も当然それにならって、なんとなく大学へ行くつもりでいた。けれど、まず何が勉強したいのか、よくわかっていなかった。そして、そのころバイトをしていたのだがバイト先には大学生が多く、その人たちや同じように大学生だった兄を見ていて、大学で何かが身につくとはどうしても思えなかった。将来を考えると、大学に行ったところでおそらく「卒業した大学名」だけしか実質役に立つモノは得られないだろう。でも僕には学歴社会というどうにもナンセンスなものが未来永劫続くとは思えなかったし、大学名だけを頼りに、人生渡り歩いていけるものとはとうてい思えなかった。
人生で武器になるような何かがないと将来生きていけない、そして高校を卒業したらまずはそのような能力・武器を身につけてから社会に出るべきだ、と僕は結論を出した。そしてそれは大学では絶対に得られない。このまま流されて大学へ行けば、大学でも大半の大学生のように遊びまわって、気付けば何も得られないまま就職を迎えるんだろう。
その旨を父親に言った。大学には行きたくない。例えば、調理師とかきちんと人生を通じて使えるような能力を僕は身に付けたいのだ、と。それまで、人生を通じて、父に「あれやれ、これやれ」と言われたことは一度もなかった。僕がやりたいことであれば、父はいつも快く承諾してくれる人なのだ。
ところがこのときは、はっきりと静かに言った。「大学には行きなさい」。
人生を通じて使える能力を身につけたい、けれど大学には行かないといけない、この条件を満たすのが留学だったのである。海外で大学に行けば、僕は少なくとも「英語」という武器を手に入れることができる。
こうして、僕は留学することになった。
留学をして、学んだ事はたくさんある。まずは人間としてタフになることができた。留学生にはいろいろな人がいて、勉強などは二の次で遊びまわっている人も多い。そのなかで、まずは大学に無事入って、単位を落とさずに3年で出ないといけないという条件の僕は、人に惑わされずにストイックに目標へ向かって一人で努力することを学んだ。
そしてオーストラリアという国の文化を肌で感じることによって、日本のよさもわかったし、日本のおかしいところもわかった。日本にいると「これが普通だ」と信じ込んでいたものが全然違ったりする。2つの国の文化はもちろん、他の国の留学生からは他の国の文化を勉強できるし、僕はそれらを吸収・理解して自分なりの価値観を構築することができた。たぶん、いろいろな国を見れば見るほど、自分なりのバランスのとれた価値観が身についていくのだろう。
留学をして本当によかったと思う。時間とお金が許せば、また大学院にでも行きたい気持ちはあるが、現実的には仕事のこともあるし無理な話だ。ただ、生徒が留学していくのを見るのは楽しい。人間的にも一回り成長して、そして英語的にも爆発的に伸びてほしいと願っている。もちろん、英語が爆発的に伸びるためには、留学する前にしっかりと下地を日本で作る必要があるわけで、そこを教えるのが僕の役割であり、英即校の使命であると思っている。
Labels: MASAKI
Thursday, July 03, 2008
単語について最近考えていること
英語でなくても言語を勉強している方はわかると思うが、単語というのは必要不可欠なものである。ブロークンでも単語を並べて通じればいいという人だとしても単語はやはり必要になってくるわけである。言わば単語は基礎体力のようなもの。いいサッカー選手になろうと思えば、まずは90分間走れる体力がないと技術云々の話にさえならないわけである。最近、個人的に僕もフットサルに熱中しているのだが、パスの精度だ、シュート力だというよりもまずは走り回れる事が本当に重要だということを実感している。
けれどサッカーもそうだが、基礎体力を伸ばすという作業は非常に地道でつまらないものである。例えば、ランニング、腕立て、腹筋、というようなものである。地味すぎる。単語の勉強もやはりそうだ。それでつまらないからと言って単語をおろそかにして、いつまでも英語力が伸びない人がなんと多いことか。この状況を僕はいつも憂えている。
そもそも中学校、高校のテストもよくない。テストさえパスすればもういいよ、とみんなが思っている。一夜漬けでも相当な効果が上がるし、大学受験で恐ろしい数の単語を覚えても入学して数ヶ月でアルコールの波間に消えていく。本当は単語は絶えず見直しをして、いつでも頭の引き出しから出てくるようにしなければいけないのに。まずこの中学、高校のときのような単語への考え方を抜本的に見直さないと効果的に単語は定着していかない。
そして覚える際にも皮肉にも歳とともに記憶の定着は悪くなっていく。これはおそらく脳医学的にも仕方のないことなのだろう。高校生のときにはぼんぼんと頭の中に入ってきたのに全然入ってこなくなる。何か効果的に覚えられる手段はないものかと思う。
秋元康だったかが、このようなことを言っていた。「音楽とは思い出のしおりである」と。例えば中学時代によく聴いていた曲を聴くと鮮明にそのときのことが思い出されたりする。失恋の曲、結婚式に流れた曲、親友と朝まで飲み明かしたときに聴いていた曲、その曲ひとつひとつが何年経っても強烈にしかも至極鮮やかに記憶を蘇らせてくれる。
脳の話になるが、音と匂いというのは記憶に直結しているものらしい。つまりこれを効果的に使って、単語を覚える手段はないものかと最近考えている。例えば曲を聴いて記憶を思い出すのであれば、その単語の発音を聴くと意味がぱっと思い出されるというようなことが可能のようにも思えるのだが。これを実現にうつせるアイディアを毎日教えながらも探している今日この頃である。
けれどサッカーもそうだが、基礎体力を伸ばすという作業は非常に地道でつまらないものである。例えば、ランニング、腕立て、腹筋、というようなものである。地味すぎる。単語の勉強もやはりそうだ。それでつまらないからと言って単語をおろそかにして、いつまでも英語力が伸びない人がなんと多いことか。この状況を僕はいつも憂えている。
そもそも中学校、高校のテストもよくない。テストさえパスすればもういいよ、とみんなが思っている。一夜漬けでも相当な効果が上がるし、大学受験で恐ろしい数の単語を覚えても入学して数ヶ月でアルコールの波間に消えていく。本当は単語は絶えず見直しをして、いつでも頭の引き出しから出てくるようにしなければいけないのに。まずこの中学、高校のときのような単語への考え方を抜本的に見直さないと効果的に単語は定着していかない。
そして覚える際にも皮肉にも歳とともに記憶の定着は悪くなっていく。これはおそらく脳医学的にも仕方のないことなのだろう。高校生のときにはぼんぼんと頭の中に入ってきたのに全然入ってこなくなる。何か効果的に覚えられる手段はないものかと思う。
秋元康だったかが、このようなことを言っていた。「音楽とは思い出のしおりである」と。例えば中学時代によく聴いていた曲を聴くと鮮明にそのときのことが思い出されたりする。失恋の曲、結婚式に流れた曲、親友と朝まで飲み明かしたときに聴いていた曲、その曲ひとつひとつが何年経っても強烈にしかも至極鮮やかに記憶を蘇らせてくれる。
脳の話になるが、音と匂いというのは記憶に直結しているものらしい。つまりこれを効果的に使って、単語を覚える手段はないものかと最近考えている。例えば曲を聴いて記憶を思い出すのであれば、その単語の発音を聴くと意味がぱっと思い出されるというようなことが可能のようにも思えるのだが。これを実現にうつせるアイディアを毎日教えながらも探している今日この頃である。
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