Friday, September 26, 2008
夢?妄想?
個人的なことなのだが、英語に関する夢がある。叶えるのはかなり難しいが、もし明日どさっと億単位のお金をもらえたとしたなら、そのお金で遊んで暮らすよりもこちらの夢を実現させたいというぐらい叶えたい夢だ。
最近思うことがある。格差社会というのは資本主義ということを考えても避けられないことなのかもしれないが、格差社会=不平等な社会であってはいけない。競争が行われて、その結果負けてしまう人が出てしまうのはどうにも避けられないとしても勝負は同じ土俵で行われなければいけない。そうすれば、競争に負けたとしてもまた這い上がれるチャンスがある。
ネット難民とかニートとかいろいろな社会問題が格差社会というものを浮き彫りにしているが、確かにその人たちにも非があるところは否めない。例えば精神的に弱い、とか。だが、例えば高卒だったとする。求人広告を見ても高校卒ははじかれる事が多いように思う。その後いくら努力をしていようが仕事の選択肢がひどく狭くなる。その一方で大学の学費の高さはなんなんだろう。優秀な人材がいても経済面でいけない人だっているだろう。医者になろうとしたら学費的にやはり医者の息子・娘しかなれないではないか。医者=世襲制であり、この前の大分の事件ではないが、教師の採用も賄賂とまではいかなくてもたぶんにコネの影響が強いことは想像に難くない。親が教師で子供も教師というのはよくあるパターンだし。
別に政治に詳しいわけではないのだが、今回の麻生内閣を見ていてぼんやりと思うのは政治家もやっぱり世襲制だなあということである。少子化担当相・小渕さんの娘というのには正直びっくりした。国のトップで最重要なことがこれか・・・と思った。中曽根、鳩山、中川・・・国のトップの大臣の中にこれだけ二世が含まれているという事実がある。これで平等な社会とはどうにもなぁ、と思ってしまう。まあ、政治家が悪いというよりも投票している国民に問題もあるんだろうけども。いや、僕は別にこの人たちが好きとか嫌いではなく、ただ客観的に見ていてそう思うだけなのだが。例えば、大物政治家の二世が同じ選挙区で旗揚げすれば、楽々と当選してしまうようなのはどうにかならないものか、と。
僕がこのような不平等な社会を打破するのにできることと言ったらこれは英語しかなくて。日本の英語教育は見ての通り、大変なことになっているし、どうやら改善の気配も見えない。もちろんこのような英語学校を運営している僕等からすれば、改善されてみんなが英語できるようになったらそれはそれで困るんだろうけども。
まあ、前置きが長くなったが、世襲制、学歴主義が跋扈するこの不平等な社会を超越する、英語だけを勉強する全日制の学校を作るのが僕の夢である。この学校を出た人間は誰もが英語がぺらぺらでTOEICはもちろん満点、というような。「学歴ありませんけど、この英語力でもダメですか?」と堂々と言えるような、「まー日本で仕事なかったら海外で仕事するからいいですよ」とさえも言ってしまえるような日本という小さな枠ではなく世界で通用する人材。
その代わり相当スパルタで、全寮制。部屋はネイティブスピーカーとシェア。単位を取らなければ、絶対に上の学年には上がれない。単位を落とさずに卒業できれば、卒業時に学費を返還。根性さえあれば、お金がなくても大丈夫。そもそも学校なんてのは、入ることよりも出ることのほうが難しくて然るべきである。そして、何らかの能力が身につかないと意味がない。そういう意味でもこれが本当の学校であると思う。
夢というより妄想かもしれない。まあ、でもこれからプロ野球選手を目指すというほど不可能なことでもないかなとも思う。
最近思うことがある。格差社会というのは資本主義ということを考えても避けられないことなのかもしれないが、格差社会=不平等な社会であってはいけない。競争が行われて、その結果負けてしまう人が出てしまうのはどうにも避けられないとしても勝負は同じ土俵で行われなければいけない。そうすれば、競争に負けたとしてもまた這い上がれるチャンスがある。
ネット難民とかニートとかいろいろな社会問題が格差社会というものを浮き彫りにしているが、確かにその人たちにも非があるところは否めない。例えば精神的に弱い、とか。だが、例えば高卒だったとする。求人広告を見ても高校卒ははじかれる事が多いように思う。その後いくら努力をしていようが仕事の選択肢がひどく狭くなる。その一方で大学の学費の高さはなんなんだろう。優秀な人材がいても経済面でいけない人だっているだろう。医者になろうとしたら学費的にやはり医者の息子・娘しかなれないではないか。医者=世襲制であり、この前の大分の事件ではないが、教師の採用も賄賂とまではいかなくてもたぶんにコネの影響が強いことは想像に難くない。親が教師で子供も教師というのはよくあるパターンだし。
別に政治に詳しいわけではないのだが、今回の麻生内閣を見ていてぼんやりと思うのは政治家もやっぱり世襲制だなあということである。少子化担当相・小渕さんの娘というのには正直びっくりした。国のトップで最重要なことがこれか・・・と思った。中曽根、鳩山、中川・・・国のトップの大臣の中にこれだけ二世が含まれているという事実がある。これで平等な社会とはどうにもなぁ、と思ってしまう。まあ、政治家が悪いというよりも投票している国民に問題もあるんだろうけども。いや、僕は別にこの人たちが好きとか嫌いではなく、ただ客観的に見ていてそう思うだけなのだが。例えば、大物政治家の二世が同じ選挙区で旗揚げすれば、楽々と当選してしまうようなのはどうにかならないものか、と。
僕がこのような不平等な社会を打破するのにできることと言ったらこれは英語しかなくて。日本の英語教育は見ての通り、大変なことになっているし、どうやら改善の気配も見えない。もちろんこのような英語学校を運営している僕等からすれば、改善されてみんなが英語できるようになったらそれはそれで困るんだろうけども。
まあ、前置きが長くなったが、世襲制、学歴主義が跋扈するこの不平等な社会を超越する、英語だけを勉強する全日制の学校を作るのが僕の夢である。この学校を出た人間は誰もが英語がぺらぺらでTOEICはもちろん満点、というような。「学歴ありませんけど、この英語力でもダメですか?」と堂々と言えるような、「まー日本で仕事なかったら海外で仕事するからいいですよ」とさえも言ってしまえるような日本という小さな枠ではなく世界で通用する人材。
その代わり相当スパルタで、全寮制。部屋はネイティブスピーカーとシェア。単位を取らなければ、絶対に上の学年には上がれない。単位を落とさずに卒業できれば、卒業時に学費を返還。根性さえあれば、お金がなくても大丈夫。そもそも学校なんてのは、入ることよりも出ることのほうが難しくて然るべきである。そして、何らかの能力が身につかないと意味がない。そういう意味でもこれが本当の学校であると思う。
夢というより妄想かもしれない。まあ、でもこれからプロ野球選手を目指すというほど不可能なことでもないかなとも思う。
Labels: MASAKI
Sunday, September 14, 2008
脱・直訳
よく生徒の方に言われる質問がある。「同期って英語でなんて言うんですか?」
同期・・・日本だと同期入社というのは結びつきが強くて、すごく仲がいいことが多い。会話のときにその同期との話をしようとしてはたと止まってしまうわけである。それで僕もはたと思う。はて、オーストラリアで同期なんて話を聞いたことがあったのかな、と。もちろんそのときは学生だったわけだが、経営のクラスなんかだと働きながらきてる人が半分ぐらいいたからそんな話聞いててもおかしくないのだが。
結論から言うと、「同期入社」という言葉は英語にはない。いや、正確にはこのように簡単には言えないわけで、関係代名詞を使って「一緒の年に一緒の会社に入った友達」というふうに言うしかないのである。終身雇用ではない外国では、同じ年に入ったことにそれほど重みはないのだろう、と思う。だから、この言葉が出てくる頻度も低いし、簡単に言う言葉も生まれてこない。文化的なことが関係している。このように日本語では簡単に言えることが英語では簡単に言えないこともある。そういうことを考えても直訳というのは無理であるというのは明らかである。
直訳の悪癖がある人は、例えば「勤続何年?」というのを「What is the term of your continuous employment?」というようなことを言ってしまいそうになる。もちろんこんな英語は堅苦しすぎて、会話でこんなことを言ってみたら外人はふき出すとは思うが、直訳をしなければ、という強迫観念のようなものを持っているとこうなってしまいがちである。これは日本の教育も悪い。はっきり言って学校の英語の教師の頭が堅すぎて定められた答え以外は認めないシステムになってしまっている。英語ではないが、高校のとき「北朝鮮の首都はどこか?」という問題で「平壌」と答えたら×になった。答えは「ピョンヤン」だそうだ。ジョークを言っているのかと思って質問に行ったのだが大真面目で僕の解答が○になることはなかった。wikipediaを見るまでもなく、ピョンヤンを漢字で書くと平壌なのだが。
話がそれた。このように文化的なことなどが原因で、日本語で簡単に言えることが英語では言えなかったりその逆もある。例えば、「mortal」という単語があるのだが、意味をご存知だろうか。この単語を初めて知ったときにはびっくりしたのだが、これは形容詞で「死ぬ運命にある、死ぬ事になっている」という意味である。何たる単語か、たぶん宗教的なことが背景にあるんだろうと思う。死ぬとかそういう言葉が仏教ほどタブーではないということに遠因があるのだろう。
ある日本語の文を英語にしようとすればその人によって文は少しずつ違ってくるわけである。そしてそのどれもが正解であったりする。結局違う言語であるので、直訳には無理があり、文を作り上げるのは自分自身。頭を柔らかく、インターネットの翻訳サイトのように変な英語にならないように気をつけたいものだ。そのためには、まず日本語の言葉ひとつひとつを捕まえて英単語にしていくのではなく、文全体で言いたいことは何か、をとらえて英語にすることだろうと思う。映画の字幕を見ててもえらい長いセリフを言っていたのに字幕が「そうなんだ」とやたら短くなっていることがあるが、あれは翻訳する人が手を抜いているのではなく、文のエッセンスをとらえて日本語に翻訳しようという努力の賜物である。あの感覚を勉強していくとより自然な英語を話せるようになるのではないだろうか。
同期・・・日本だと同期入社というのは結びつきが強くて、すごく仲がいいことが多い。会話のときにその同期との話をしようとしてはたと止まってしまうわけである。それで僕もはたと思う。はて、オーストラリアで同期なんて話を聞いたことがあったのかな、と。もちろんそのときは学生だったわけだが、経営のクラスなんかだと働きながらきてる人が半分ぐらいいたからそんな話聞いててもおかしくないのだが。
結論から言うと、「同期入社」という言葉は英語にはない。いや、正確にはこのように簡単には言えないわけで、関係代名詞を使って「一緒の年に一緒の会社に入った友達」というふうに言うしかないのである。終身雇用ではない外国では、同じ年に入ったことにそれほど重みはないのだろう、と思う。だから、この言葉が出てくる頻度も低いし、簡単に言う言葉も生まれてこない。文化的なことが関係している。このように日本語では簡単に言えることが英語では簡単に言えないこともある。そういうことを考えても直訳というのは無理であるというのは明らかである。
直訳の悪癖がある人は、例えば「勤続何年?」というのを「What is the term of your continuous employment?」というようなことを言ってしまいそうになる。もちろんこんな英語は堅苦しすぎて、会話でこんなことを言ってみたら外人はふき出すとは思うが、直訳をしなければ、という強迫観念のようなものを持っているとこうなってしまいがちである。これは日本の教育も悪い。はっきり言って学校の英語の教師の頭が堅すぎて定められた答え以外は認めないシステムになってしまっている。英語ではないが、高校のとき「北朝鮮の首都はどこか?」という問題で「平壌」と答えたら×になった。答えは「ピョンヤン」だそうだ。ジョークを言っているのかと思って質問に行ったのだが大真面目で僕の解答が○になることはなかった。wikipediaを見るまでもなく、ピョンヤンを漢字で書くと平壌なのだが。
話がそれた。このように文化的なことなどが原因で、日本語で簡単に言えることが英語では言えなかったりその逆もある。例えば、「mortal」という単語があるのだが、意味をご存知だろうか。この単語を初めて知ったときにはびっくりしたのだが、これは形容詞で「死ぬ運命にある、死ぬ事になっている」という意味である。何たる単語か、たぶん宗教的なことが背景にあるんだろうと思う。死ぬとかそういう言葉が仏教ほどタブーではないということに遠因があるのだろう。
ある日本語の文を英語にしようとすればその人によって文は少しずつ違ってくるわけである。そしてそのどれもが正解であったりする。結局違う言語であるので、直訳には無理があり、文を作り上げるのは自分自身。頭を柔らかく、インターネットの翻訳サイトのように変な英語にならないように気をつけたいものだ。そのためには、まず日本語の言葉ひとつひとつを捕まえて英単語にしていくのではなく、文全体で言いたいことは何か、をとらえて英語にすることだろうと思う。映画の字幕を見ててもえらい長いセリフを言っていたのに字幕が「そうなんだ」とやたら短くなっていることがあるが、あれは翻訳する人が手を抜いているのではなく、文のエッセンスをとらえて日本語に翻訳しようという努力の賜物である。あの感覚を勉強していくとより自然な英語を話せるようになるのではないだろうか。
Labels: MASAKI
Sunday, September 07, 2008
日本のよさ
海外に滞在した事がある人に多いのだが、「日本は最悪だ、アメリカ最高!」のようにカブレてしまう人がよくいる。いわゆる欧米コンプレックスなのだと思う。
僕は4年間オーストラリアにいたので、よく洋楽ばっかり聴いているのだろう、とかオーストラリアに永久に住みたいと思っているのだろう、と聞かれたりすることもあるのだが、残念ながらミスチルばかり聞いているし、オーストラリアに永久に住めると言われても即決はできない。考えた末にNOと言うかもしれない。
オーストラリアにいるときに、自分の英語に自信の持てるまでの2~3年間、日本人とは関わらないようにして生きていた。別にすましていたわけではなく、僕には大学を出るという至上命題があったので、自分を甘やかしたらどこまでも甘やかしそうで不安だったからである。かといって最初の1年ぐらいは、ネイティブと完全に渡り合えるほど流暢性もなく、1人で行動することも多かった。もうなんでも勉強だと思って、いろいろなものに無謀に飛び込んだ。
いろいろと体験してみるとオーストラリアについて深くわかってくる。4年もいると悪いところもいいところもはっきりと見えてくるわけである。夜歩いていると突然車が止まって窓から人種差別的なことを言われたりしたこともあるし、日本人より時間にルーズすぎるオーストラリア人にいらっとすることもあった。電車も遅れても何もアナウンスもないし、慣れるしかないのだが、何もかも日本とは違う。家族を大事にするところ、とにかく能天気なところ、いろいろといいところもある。
同時にわかってくるところがある。それは日本のよさ。悪いところばかりクローズアップしていたのが、日本のよいところも確実に見えてくる。日本も悪くないじゃないか、と。他の国のほうが日本より上だと言い張る人はたぶんその国の悪いところも見えるほど深く関わっていないのだろう。食べ物もそうだし、四季があるということの素晴らしさ。人々が協調性が高かったり、なんだかんだいっても礼儀正しかったりもする。
日本にはいいところもたくさんある、それを再確認させてくれるようなことが最近あった。
ヨーロッパの人と触れ合う機会がたびたびあったのだが、もう訳がわからないぐらいに親日家という人がけっこういる。日本人というだけで全面的に信頼されたり、明らかに好意的に見てもらえたりする。聞いてみると日本の文化が好きで、ほんのささいな僕らが気付かない日本のよさに気付いていたりもする。なんだかんだ言っても日本人は外人に優しい、と彼らは言う。日本人は気を使う。行く先々で助けてくれる、と言う。確かにそうなんだろう。きっと日本のあちこちで心優しい人が外人を助けているのだろう。自分の国が好かれているということはすごく気持ちがいい。日本に来た事がない人でも日本に好意的なイメージを持っている人はたくさんいる。誰がこんなに日本の評判を高めているのだろう、と不思議に思うくらいに。
中国や韓国の人には、日本をよく思わない人も確かにいるとは思うが、最近ではマンガや映画などの若者文化のおかげで若者の反日感情はかなりなくなってきたように思う。マンガは我々が思う以上に世界中で日本のイメージ向上に貢献しているようだと実感している。ドイツ人もスペイン人もロシア人も韓国人も香港人も読んでいるのである。マンガ好きの麻生さんが首相になって、マンガが好きだと世界にアピールすると意外に好意的な反応があるんじゃないかと密かに思ったりもするが。
僕は4年間オーストラリアにいたので、よく洋楽ばっかり聴いているのだろう、とかオーストラリアに永久に住みたいと思っているのだろう、と聞かれたりすることもあるのだが、残念ながらミスチルばかり聞いているし、オーストラリアに永久に住めると言われても即決はできない。考えた末にNOと言うかもしれない。
オーストラリアにいるときに、自分の英語に自信の持てるまでの2~3年間、日本人とは関わらないようにして生きていた。別にすましていたわけではなく、僕には大学を出るという至上命題があったので、自分を甘やかしたらどこまでも甘やかしそうで不安だったからである。かといって最初の1年ぐらいは、ネイティブと完全に渡り合えるほど流暢性もなく、1人で行動することも多かった。もうなんでも勉強だと思って、いろいろなものに無謀に飛び込んだ。
いろいろと体験してみるとオーストラリアについて深くわかってくる。4年もいると悪いところもいいところもはっきりと見えてくるわけである。夜歩いていると突然車が止まって窓から人種差別的なことを言われたりしたこともあるし、日本人より時間にルーズすぎるオーストラリア人にいらっとすることもあった。電車も遅れても何もアナウンスもないし、慣れるしかないのだが、何もかも日本とは違う。家族を大事にするところ、とにかく能天気なところ、いろいろといいところもある。
同時にわかってくるところがある。それは日本のよさ。悪いところばかりクローズアップしていたのが、日本のよいところも確実に見えてくる。日本も悪くないじゃないか、と。他の国のほうが日本より上だと言い張る人はたぶんその国の悪いところも見えるほど深く関わっていないのだろう。食べ物もそうだし、四季があるということの素晴らしさ。人々が協調性が高かったり、なんだかんだいっても礼儀正しかったりもする。
日本にはいいところもたくさんある、それを再確認させてくれるようなことが最近あった。
ヨーロッパの人と触れ合う機会がたびたびあったのだが、もう訳がわからないぐらいに親日家という人がけっこういる。日本人というだけで全面的に信頼されたり、明らかに好意的に見てもらえたりする。聞いてみると日本の文化が好きで、ほんのささいな僕らが気付かない日本のよさに気付いていたりもする。なんだかんだ言っても日本人は外人に優しい、と彼らは言う。日本人は気を使う。行く先々で助けてくれる、と言う。確かにそうなんだろう。きっと日本のあちこちで心優しい人が外人を助けているのだろう。自分の国が好かれているということはすごく気持ちがいい。日本に来た事がない人でも日本に好意的なイメージを持っている人はたくさんいる。誰がこんなに日本の評判を高めているのだろう、と不思議に思うくらいに。
中国や韓国の人には、日本をよく思わない人も確かにいるとは思うが、最近ではマンガや映画などの若者文化のおかげで若者の反日感情はかなりなくなってきたように思う。マンガは我々が思う以上に世界中で日本のイメージ向上に貢献しているようだと実感している。ドイツ人もスペイン人もロシア人も韓国人も香港人も読んでいるのである。マンガ好きの麻生さんが首相になって、マンガが好きだと世界にアピールすると意外に好意的な反応があるんじゃないかと密かに思ったりもするが。
Labels: MASAKI