Sunday, September 07, 2008

 

日本のよさ

海外に滞在した事がある人に多いのだが、「日本は最悪だ、アメリカ最高!」のようにカブレてしまう人がよくいる。いわゆる欧米コンプレックスなのだと思う。

僕は4年間オーストラリアにいたので、よく洋楽ばっかり聴いているのだろう、とかオーストラリアに永久に住みたいと思っているのだろう、と聞かれたりすることもあるのだが、残念ながらミスチルばかり聞いているし、オーストラリアに永久に住めると言われても即決はできない。考えた末にNOと言うかもしれない。

オーストラリアにいるときに、自分の英語に自信の持てるまでの2~3年間、日本人とは関わらないようにして生きていた。別にすましていたわけではなく、僕には大学を出るという至上命題があったので、自分を甘やかしたらどこまでも甘やかしそうで不安だったからである。かといって最初の1年ぐらいは、ネイティブと完全に渡り合えるほど流暢性もなく、1人で行動することも多かった。もうなんでも勉強だと思って、いろいろなものに無謀に飛び込んだ。

いろいろと体験してみるとオーストラリアについて深くわかってくる。4年もいると悪いところもいいところもはっきりと見えてくるわけである。夜歩いていると突然車が止まって窓から人種差別的なことを言われたりしたこともあるし、日本人より時間にルーズすぎるオーストラリア人にいらっとすることもあった。電車も遅れても何もアナウンスもないし、慣れるしかないのだが、何もかも日本とは違う。家族を大事にするところ、とにかく能天気なところ、いろいろといいところもある。

同時にわかってくるところがある。それは日本のよさ。悪いところばかりクローズアップしていたのが、日本のよいところも確実に見えてくる。日本も悪くないじゃないか、と。他の国のほうが日本より上だと言い張る人はたぶんその国の悪いところも見えるほど深く関わっていないのだろう。食べ物もそうだし、四季があるということの素晴らしさ。人々が協調性が高かったり、なんだかんだいっても礼儀正しかったりもする。

日本にはいいところもたくさんある、それを再確認させてくれるようなことが最近あった。

ヨーロッパの人と触れ合う機会がたびたびあったのだが、もう訳がわからないぐらいに親日家という人がけっこういる。日本人というだけで全面的に信頼されたり、明らかに好意的に見てもらえたりする。聞いてみると日本の文化が好きで、ほんのささいな僕らが気付かない日本のよさに気付いていたりもする。なんだかんだ言っても日本人は外人に優しい、と彼らは言う。日本人は気を使う。行く先々で助けてくれる、と言う。確かにそうなんだろう。きっと日本のあちこちで心優しい人が外人を助けているのだろう。自分の国が好かれているということはすごく気持ちがいい。日本に来た事がない人でも日本に好意的なイメージを持っている人はたくさんいる。誰がこんなに日本の評判を高めているのだろう、と不思議に思うくらいに。

中国や韓国の人には、日本をよく思わない人も確かにいるとは思うが、最近ではマンガや映画などの若者文化のおかげで若者の反日感情はかなりなくなってきたように思う。マンガは我々が思う以上に世界中で日本のイメージ向上に貢献しているようだと実感している。ドイツ人もスペイン人もロシア人も韓国人も香港人も読んでいるのである。マンガ好きの麻生さんが首相になって、マンガが好きだと世界にアピールすると意外に好意的な反応があるんじゃないかと密かに思ったりもするが。

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Monday, August 11, 2008

 

世界の共通言語

先日、日本語を学びに日本に来ている外国人留学生をガイドする機会があった。

ガイドしたのは、台湾、ドイツ、オーストリア、ウクライナ、スペインの5名。明治神宮や上野を回ったのだが、彼らは日本にきて1週間ぐらいで日本語はかなりの初心者レベル。簡単なことなら話せるのだが、なかなか自分の言いたいこと、聞きたいことを日本語で話すのは難しい模様。そこで、結局英語でコミュニケーションを取ることになった。

驚いたのはみんなの英語のうまさ。ヨーロッパ圏は確かにみんなうまいイメージはあるのだが、ドイツ人なんてまだ高校生である。それに加えて、台湾の大学生も英語をきちんと話せる。確かに中国語やほとんどのヨーロッパの言語は英語と文法が同じなのでマスターしやすいことはあるのだが、それにしてもみんなストレスなく自由にコミュニケーションが取れるレベルである。英語、母国語が話せて、そして今日本語という第三の言語を勉強しているわけである。これが世界基準なのか。英語はできて当然、その次の言語がようやく武器になる、ということなのだろう。はっきり言って「日本の教育は何をやっているのか」と思ってしまった。一国の首相が英語を話せないということは世界的にはかなり軽蔑されることなのかもしれない。

なぜ英語が共通言語なのか、とかそういう疑問は確かにあるとは思うが、英語には敬語もないし、前に書いたように日本語よりはかなり簡単な言語である。女性名詞、男性名詞などもない。共通言語としてはちょうどいい言語だと思う。

英語は紛れもない世界の共通言語なのだなぁーと実感した一日だった。そして僕達はそのような世界の輪に入っていける生徒をどんどんと育成していかなければいけないなあと気持ちを新たにした次第である。

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Tuesday, August 05, 2008

 

第一言語と第二言語

日本語を勉強している外国人に質問されて困った経験はないだろうか。例えば、「私は英語が勉強している」という文は間違いで「私は英語を勉強している」が正しい。それをその人に言うと「それではなぜ間違いなのですか?」という質問が返ってくる。ここで非常に困ってしまう。「そういう言い方はしないんだよ」「なぜですか?」と延々と押し問答が続く。

もしくは、こちらが「I go Tokyo」と言うと「それはI go to Tokyoだよ」と英語のネイティブスピーカーに直され、「ふむふむ、そうなのかgoにはtoが必要なのだな」と思って、「I go to home」と言うと今度は「I go homeだ」と直される。「なぜなんだ?」とそのネイティブに聞いても「homeの場合はtoをつけないんだよ」としか説明がされず、頭の中にはハテナマークがたくさん回っている。

これが第一言語と第二言語の違いである。第一言語の場合は、経験的にその言語をマスターしているので理屈はわかっていない。これは暗記の手法に近い。「私は~をしている」という文を何万回、何億回と聞いたり使ったりしたことがあるので、「私は英語を勉強している」という文を考えずとも自然に作れるのである。だから「なぜだ?」と言われても答えられない。

しかし第二言語を学ぶ際に、第一言語のように考えないで文を作れるようになろうと思うと膨大な時間がかかる。我々がネイティブのように経験的に学ぶやり方で英語を学ぼうとするなら、とてもじゃないが、数年の留学ではおっつかない。毎日24時間英語漬けという環境を少なくても10年ぐらいは必要なのではないか。子供であればもっと短いだろうが。それぐらい「経験的に」学ぼうとすることは効率が悪いのである。

僕が英会話スクールで教えていた際に感じたのがこの「第一言語的な英語習得」の限界だった。授業に来て毎週1時間英語を話すだけでは絶対量が足りなすぎる。週2回にしても大した違いはない。この方法では英語をマスターできるわけないのだ。もっと近道を進まなければ到底無理である。

その近道が文法・語彙であることは僕にはわかっていた。例えば、ネイティブが「go」という動詞の使い方をマスターするのに、いろんな例文を生活の中で聞いてじっくりとマスターしていくところを「goは後ろが名詞の場合にはtoが必要です。homeは副詞なのでtoはいりません」と最初にルールをカンニングしてしまえばいいのである。子供は吸収力、順応力に優れているが、大人は逆に論理的思考、応用力に優れている。第二言語を大人がマスターするには、これしかない。そんな信念の元に我々は学校を開いたわけである。

文法というとめんどくさい、難しそうと思う人が多いとは思うが、はっきり言って経験的に英語を学ぶのと比べるとはるかに簡単で、近道である。それに多くの人が気付いてくれればと思う。

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Monday, July 14, 2008

 

留学のすすめ

これを読んでくれている方のなかには海外で勉強しようと思っている方もいると思う。そこで、参考のために僕自身の留学の話について今回は書きたい。

僕は学生時代から英語が好きだったわけでもなく、どちらかというと苦手で、海外への憧れも皆無だった。そんな僕がなぜ留学することになったのか?ということをまず説明したい。

通っていた高校は附属の大学もついていて、とにかくほぼ全員が大学へ行くという状況だった。大した哲学も人生のプランもない僕も当然それにならって、なんとなく大学へ行くつもりでいた。けれど、まず何が勉強したいのか、よくわかっていなかった。そして、そのころバイトをしていたのだがバイト先には大学生が多く、その人たちや同じように大学生だった兄を見ていて、大学で何かが身につくとはどうしても思えなかった。将来を考えると、大学に行ったところでおそらく「卒業した大学名」だけしか実質役に立つモノは得られないだろう。でも僕には学歴社会というどうにもナンセンスなものが未来永劫続くとは思えなかったし、大学名だけを頼りに、人生渡り歩いていけるものとはとうてい思えなかった。

人生で武器になるような何かがないと将来生きていけない、そして高校を卒業したらまずはそのような能力・武器を身につけてから社会に出るべきだ、と僕は結論を出した。そしてそれは大学では絶対に得られない。このまま流されて大学へ行けば、大学でも大半の大学生のように遊びまわって、気付けば何も得られないまま就職を迎えるんだろう。

その旨を父親に言った。大学には行きたくない。例えば、調理師とかきちんと人生を通じて使えるような能力を僕は身に付けたいのだ、と。それまで、人生を通じて、父に「あれやれ、これやれ」と言われたことは一度もなかった。僕がやりたいことであれば、父はいつも快く承諾してくれる人なのだ。

ところがこのときは、はっきりと静かに言った。「大学には行きなさい」。

人生を通じて使える能力を身につけたい、けれど大学には行かないといけない、この条件を満たすのが留学だったのである。海外で大学に行けば、僕は少なくとも「英語」という武器を手に入れることができる。

こうして、僕は留学することになった。

留学をして、学んだ事はたくさんある。まずは人間としてタフになることができた。留学生にはいろいろな人がいて、勉強などは二の次で遊びまわっている人も多い。そのなかで、まずは大学に無事入って、単位を落とさずに3年で出ないといけないという条件の僕は、人に惑わされずにストイックに目標へ向かって一人で努力することを学んだ。

そしてオーストラリアという国の文化を肌で感じることによって、日本のよさもわかったし、日本のおかしいところもわかった。日本にいると「これが普通だ」と信じ込んでいたものが全然違ったりする。2つの国の文化はもちろん、他の国の留学生からは他の国の文化を勉強できるし、僕はそれらを吸収・理解して自分なりの価値観を構築することができた。たぶん、いろいろな国を見れば見るほど、自分なりのバランスのとれた価値観が身についていくのだろう。

留学をして本当によかったと思う。時間とお金が許せば、また大学院にでも行きたい気持ちはあるが、現実的には仕事のこともあるし無理な話だ。ただ、生徒が留学していくのを見るのは楽しい。人間的にも一回り成長して、そして英語的にも爆発的に伸びてほしいと願っている。もちろん、英語が爆発的に伸びるためには、留学する前にしっかりと下地を日本で作る必要があるわけで、そこを教えるのが僕の役割であり、英即校の使命であると思っている。

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Thursday, July 03, 2008

 

単語について最近考えていること

英語でなくても言語を勉強している方はわかると思うが、単語というのは必要不可欠なものである。ブロークンでも単語を並べて通じればいいという人だとしても単語はやはり必要になってくるわけである。言わば単語は基礎体力のようなもの。いいサッカー選手になろうと思えば、まずは90分間走れる体力がないと技術云々の話にさえならないわけである。最近、個人的に僕もフットサルに熱中しているのだが、パスの精度だ、シュート力だというよりもまずは走り回れる事が本当に重要だということを実感している。

けれどサッカーもそうだが、基礎体力を伸ばすという作業は非常に地道でつまらないものである。例えば、ランニング、腕立て、腹筋、というようなものである。地味すぎる。単語の勉強もやはりそうだ。それでつまらないからと言って単語をおろそかにして、いつまでも英語力が伸びない人がなんと多いことか。この状況を僕はいつも憂えている。

そもそも中学校、高校のテストもよくない。テストさえパスすればもういいよ、とみんなが思っている。一夜漬けでも相当な効果が上がるし、大学受験で恐ろしい数の単語を覚えても入学して数ヶ月でアルコールの波間に消えていく。本当は単語は絶えず見直しをして、いつでも頭の引き出しから出てくるようにしなければいけないのに。まずこの中学、高校のときのような単語への考え方を抜本的に見直さないと効果的に単語は定着していかない。

そして覚える際にも皮肉にも歳とともに記憶の定着は悪くなっていく。これはおそらく脳医学的にも仕方のないことなのだろう。高校生のときにはぼんぼんと頭の中に入ってきたのに全然入ってこなくなる。何か効果的に覚えられる手段はないものかと思う。

秋元康だったかが、このようなことを言っていた。「音楽とは思い出のしおりである」と。例えば中学時代によく聴いていた曲を聴くと鮮明にそのときのことが思い出されたりする。失恋の曲、結婚式に流れた曲、親友と朝まで飲み明かしたときに聴いていた曲、その曲ひとつひとつが何年経っても強烈にしかも至極鮮やかに記憶を蘇らせてくれる。

脳の話になるが、音と匂いというのは記憶に直結しているものらしい。つまりこれを効果的に使って、単語を覚える手段はないものかと最近考えている。例えば曲を聴いて記憶を思い出すのであれば、その単語の発音を聴くと意味がぱっと思い出されるというようなことが可能のようにも思えるのだが。これを実現にうつせるアイディアを毎日教えながらも探している今日この頃である。

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Tuesday, May 27, 2008

 

他の英会話スクールとの差別化

最近、入学していただいた新入生の方には他の英会話スクールに行った経験がある方が多い。
これはとても望ましいことである。大手英会話スクールと比較した結果、当校を選んでもらえるというのはありがたいことだ。

はっきり言って学校の立地条件などでは大手英会話スクールには到底かなわない。駅前ではないし、制服を着たきらびやかな受付の女の人がいるわけでもない。広告もホームページを開いているだけという状況だ。元々、自分達の理想のレッスンを提供して、生徒の方の英語が最大限に伸びる学校を作ろうということで開いた学校である。どうやって生徒を集めるか、というところよりもどのように生徒の方に満足してもらい、通い続けてもらえるか、ということを主眼に置いている。おかげさまで1年以内に授業に満足できずやめるような生徒は皆無に等しい。

当校の学校としての意義としては、他の学校との徹底的な差別化がある。当校にはネイティブ講師を常駐させていない。ネイティブとの授業ありきと思っている方にはまったく見向きもされないと思うが、我々にも確固としたポリシーがある。そもそも第一言語と第二言語では習得方法そのものに違いがありすぎるため、第一言語の人に第二言語の人が納得できる説明を引き出そうと思っても到底無理な話である。日本語を勉強している外国人に日本語の説明をすることを考えたら想像できるだろう。「これはこういう言い方だからこうなるの」という説明しかできないのが第一言語の人と言える。もちろんネイティブの活きた表現は参考にはなるが、それであれば映画やテレビにも活きた英語はあふれている。

「ネイティブと会話する機会を売る」学校はたくさんあるが、我々はそれで英語が理想的に伸びるとは思わない。もちろん運営側からすれば、ネイティブを雇って、あとは任せて教えさせるだけだから、これは小売業のようなものだ。ネイティブの賃金より高い授業料を設定すれば、その分だけマージンが入ってくる。生徒はネイティブと話せれば満足なために授業内容へのハードルも低い。

TOEICなんてネイティブで教えられるはずもないのである。これは第一言語には教えづらい。経験で理解している文法を言葉にして教えるのは至難の業である。第一、英語圏ではTOEICというテストの認知度さえおそろしいほど低く、日本に来てその名前を知るネイティブがほとんどなのである。このような理由で、残念ながら、ネイティブ講師オンリーというような英会話スクールのTOEICの授業は効果的ではないものがほとんどである。

当校は、きっちりと文法も勉強し、海外の大学を出て、活きた表現も存分に吸収した日本人講師が第二言語の観点から英語力が理想的に伸びるレッスンを提供している。会話でもわからないところをわかりやすいように説明できるし、TOEICというテストにも精通している。本当のものを求める方にいつまでも選ばれる学校でありたい。そう思って日々努力しつづけたいと思う。

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Friday, April 18, 2008

 

サンキュー会開催しました


3月の話になりますが、新しい生徒の方の歓迎会、誕生会、そして壮行会も兼ねてサンキュー会という名の定期飲み会を開催しました。総勢20名ぐらいでしょうか。奥のほうで何かを掲げている男の方は、オランダに長期出張で行かれるということでもらった餞別のプレゼントを掲げていますね~。夢がかなって海外出張になりましたが、英即校にとっては初の生徒さんと言っても過言ではない方なので、かなり寂しいところです。でも、生徒の皆さんの夢が叶っていくのを見るのはうれしいことでもあります。オランダで頑張ってきてください!

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