Friday, February 26, 2010

 

お知らせ

4月より、All Aboutというサイトで英語講師のプロとして掲載されることになり、そちらでブログを書くことになりました。ですので、ただいまそちらへ移行する準備をしております。4月からもよろしくお願いします。

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Tuesday, November 10, 2009

 

継続は力なり

教えていくなかでもどかしさを感じることがけっこうある。

僕は、海外で生まれ育って自然と英語が話せるようになったというわけではなく、日本で英語を勉強して大学の4年間をオーストラリアで過ごした。つまり、生徒の方と同じように文法や単語も留学する前に勉強していたし、これをやらなければいけない、量としてはこれぐらいが必要だ、というのも経験上わかっている。例えば僕が勉強していた単語の本はロングセラーで今でもかなりの人が勉強しているが、この1冊で海外で生活していくうえでけっこう大部分の単語が網羅されていると思う。だから、これを1冊やるといいとおすすめしたいのだが、社会人の方だと時間がなかったりもするし、性格上どうしても怠けてしまう人もいる。

こちらとしては、「これだけやらないといけないから、授業ではこれをやって家でこれをやってもらおう」と思って宿題も出すのだが、これがなかなか計画どおりに行かない。かといって、そんなに強く言う事もできないし、何より学生とは違って、無理矢理やってもらっても意味はないと思うので、強くは言わない。例えば宿題でもとりあえず空欄を埋めました、という感じのものもあるし、これはすごい時間かかってるなあと思うものもある。結局その人のやる気の問題なので、これを持続させる助けをしてあげるのが講師の役目だと思う。

ただ、世の中は偽情報があふれすぎていて、英語は簡単にマスターできると思っている人も多いので、「このペースで行って、目標の英語力にたどり着くにはこれぐらいの時間がかかる」というと「え、そんなにかかるんですか?」となってしまったりする。「1年で英語ってマスターできますか?」と聞かれることもあるのだが、答えは「可能、ただし、あなたの毎週の勉強量による」という答えになってしまう。やる量というのはもう決まっていてあとはそれをどのペースでやるか、ということだけである。しかも社会人で時間が限られているとなるとペースというのはおのずと限られてくるのだが、これを焦って進めてしまおうとする人も多く見られる。例えば冒頭の単語の本だが、50ぐらいのセクションに分かれていて、それぞれ最低30ぐらいの単語は入っている。30個を1週間に覚えるのはとても大変だと思うが、そのペースでも悠に1年かかってしまう。時間のない人では2週に1セクションがいっぱいいっぱいだと思う。そうすると2年はかかる。

英語と言うのは時間がかかる。じっくりと腰を据えて着実にやっていくことが重要だと思う。自分の勉強してきた経験からもこれだけは真実だと思う。「継続は力なり」。単語も1日に100個詰め込むというのではなく、毎日3個増やしていくということができる人はすごく強い。極論すれば、毎日何かをできる人は結局なんでも成し遂げることができると僕は思う。

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Friday, August 14, 2009

 

新しい単語の覚え方

当校では、語彙と文法が英語力の基礎であるというスタンスの授業を行っているわけだが、それでは単語はどのように覚えるといいのか、と生徒の方から質問を受けることがよくある。

前にこちらのコラムで、その単語の覚え方について書いた。基本的に何かを覚える場合にはそれを思い出す手がかり=連想とともに、人は脳に記憶するものである。これは心理学の教科書に書いてあったのだが。つまりその手がかりが多ければ多いほど、その単語を思い出しやすくなる。なので、和訳だけではなく、同義語とか自分のイメージとかそういったものも一緒に覚えると思い出しやすくなるという内容だった。

また、もうひとつ大事なことは、完全に覚えるまで徹底的に見直すことである。日本ではテストが終われば単語は忘れてもいいというテストが多すぎるために、短期間にがっと覚えてテストが終わったら忘れるという勉強法が主流になってしまっている。もちろん、これでは使えるようにはならない。

まとめると気をつけるべきは2点。覚えるときにはなるべく多くの手がかりとともに覚える事。そして、それを定期的に見直すこと。それに伴って、単語ノートはなるべくきれいにして見直すのが苦にならないようにしておくこと。

そして、もうひとつ個人的なことを思い出した。僕は大学時代に心理学を勉強していて、これはもう覚える事が非常に多いのだが、すごくうまく機能した勉強法があった。当時僕もどのようにいろいろな用語を覚えていくべきかと悩んでいた。普通はテキストに蛍光ペンを引いたりするが、これがあまり機能しないことはすでにわかっていて、そこで僕がやったことは自分で問題集を作ることだった。たとえば「○○効果」というような用語があったら、これを誰かに出題するつもりで問題を作る。「○○効果というのは、どんな効果か?また日常生活でこの効果が見られる例をあげよ」という感じで。それに対する解答も自分で作る。問題もいつも同じタイプの問題を作るのではなく、この用語ならこういう問題がいいだろう、と出題者の気持ちで作ってみる。記述問題、間違い探し問題、ケーススタディ・・・

問題を作る時点でその用語についての最も大事なことを知っておかないとまず問題が作れない。そこでテキストを読んでこの用語について深く知ろうとする。そして解答もしっかりと作らないといけないので、「例をあげよ」という問題の答えも自分で考えなければいけない。

こうして、問題を作るうちにおのずとその用語についての理解が深まっていく。見直すときにもクイズ感覚で見直せるので、苦にならない。もし、友達同士で問題を作りあってお互い交換して答えたら、これはかなり効果的に覚えられるのではないかと思う。まずはこの方法で自ら新しい単語を覚える実験をしてみるので、その効果のほどをまた報告したい。

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Thursday, May 07, 2009

 

オージーイングリッシュ

僕の場合、英語を話していると「ねぇ、あなたオーストラリアにいたでしょ?」とよく聞かれる。僕の英語はとにもかくにもオージーイングリッシュのようだ。この前もアメリカ人に言われたので「どこらへんでそう思った?」と聞いてみたのだが、「もう全部よ、全部!っていうか、もうAustraliaっていう単語の発音からすでにあなたオージーイングリッシュよ」と言われた。特にどの単語を使うから、というわけでもどの単語の発音がという部分的なものではないらしい。別に僕はオージーイングリッシュを話そうと意識しているわけではないし、正直どこのどのへんがオージーイングリッシュかというのを詳細に指摘できるわけでもない。

それについて僕がどう思うか、というとこれはもう嬉しいの一言である。オーストラリアの英語というと英語の中では決して都会派のものではないし、方言みたいなものだ。英語の中ではかっこいいという部類のものではないとは思うが、僕は自分の英語がオージーイングリッシュだと言われることがこのうえなく嬉しい。

なぜか。オーストラリアが好きだというのもひとつの理由だけれど、それよりも自分の英語に関することで嬉しく思うほうが大きい。言語というのは、関西弁だってそうだけれど、その地域に住むと自然にうつってくるものである。ただ、その地域に溶け込もうとしなければ、もちろんうつらない。東京でも関西弁で通しつづける人もいるし、東京の人でも関西に行って関西弁になる人もいるし、ならない人もいる。
留学生でも同じで、せっかく外国に行っても同じ国からきた同士でいつも一緒にいて、溶け込もうと努力をしない人もいる。

僕は英語をモノにしようと思って留学したし、情けない思いやみっともない思いをしながらも必死で溶け込もうと努力をしたつもりである。もちろん、もっともっとやれたと思う点もあるけれど、自分の中では概ね満足していることも多い。そして、その自分が頑張ったことを証明してくれるのがこの自分のオージーイングリッシュだと僕は思っている。

そんなことが理由で、自分の英語がオージーイングリッシュと言われるたびに嬉しく感じる僕である。

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Tuesday, May 05, 2009

 

最近、感じたこと

最近、通訳やら翻訳やらという仕事をひょんなことから頼まれてやってみたのだが、なかなか勉強になることがあった。

通訳というのは難しいものである。直訳をしても全然言わんとしていることが伝わらない事も多いし、その人の言っていることを変えすぎる訳にもいかない。そもそも日本語にはあって英語にはない表現だってたくさんある。例えば、授賞式のようなものがあって、そこで「プレゼントです、お受け取りください」という言葉があったのだが、これを「This is a present. Please receive it」ではまったくおかしく、「Please receive it」というよりは「I hope you will like it」のほうが英語では自然なのである。日本語でだらだらと長い文も英語にしてみると相当に短くなるということもあった。このような直訳の限界、弊害というものを改めて感じた。

もう1つは、自分自身の英語についてである。わりと難しい講義の通訳だったのだが、最初のうちはなかなか学問的でぴたっとくる表現が浮かばなかったりした。後から、あれって何て言えばよかったかな、と思うと出てくるのだが、そのときには浮かんでこない。やるに従って自分でもしっくりくる表現で通訳できるようになった。これはいったいなんなのだろう、と思っていて1つの考えにたどり着いた。僕は、簡単な単語や語彙を使うことが癖になっているのかもしれない。例えば、教えている授業でも初心者の方というのは多いわけで、その場合には難解な語彙を使うよりもまずはこれを覚えてほしいというものをその方のレベルに応じて使っている。そうすると難解な語彙というものを使う回数は減っていき、どんどんと引き出しの奥のほうに沈んでいく。もちろん引き出しの中には入っているのだが、これを出してやる機会を適宜作らないとこのような語彙はどんどんとぱっと出てこなくなっていき、しまいには忘れてしまうのかもしれない。

これは僕のケースであるが、もちろん生徒の方にも当てはまることである。せっかく覚えた新しい語彙や表現も使わなければ忘れていく。しかし、その語彙や表現のなかには普通の生活ではなかなか出てこないものだってあるわけである。これを補うためには、作文等の宿題でそういったものを使う問題を出してあげることが非常に重要な意味を持つ。また、英作文をする際にも「宿題だからやればいいんでしょ」という感じではなく「この日本語に対応するもっともふさわしい英語の表現はなんだろうか」と内容にこだわって英作文をすることが大事ではないかと思う。そう考えるとやはり日本の学校教育では莫大な英単語を覚えさせてはいるが使う機会が極端少ないわけで、みんなが単語を忘れていくのも無理はないのかもしれない。

単語、表現の定着には覚える労力よりも見直す労力、そしてそれを何回も使っていくこと、こちらのほうが大事である。そんなことを改めて感じた。

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Monday, April 06, 2009

 

TOEICについて

TOEICが日本、アジア圏でもてはやされている。日本では就職・転職のときに英語力=TOEICということになっているが、これにはいつも違和感を感じる。

TOEICにはリスニングとリーディングしかない。そのため、本当の英語力を測るものとしては明らかに不十分である。その一方、良いところは、マークシートなので、細かい点を出すことができる。他のライティングやスピーキングがあるテストではそうはいかない。例えばイギリスやオーストラリアといった国で使われているIELTSというテストがあるが、これは9.0といった感じで0.5ポイントごとの点数になっている。ライティングやスピーキングは採点者の主観がかなり入ってきてしまうため、細かい採点が難しいという理屈はよくわかる。

また、マークシートで採点が容易なため、ほぼ毎月行われているという手軽さもある。単語もビジネス寄り(書き言葉)になっていて、仕事の現場で必要な語彙とも言える。しかし、書き言葉ということは裏を返せば会話では使われないものであったり、堅すぎて普段の生活では使わないものでもあったりする。何より問題なのは「文を作る」能力がまったく問われないということ。もちろん、他のTOEFLやIELTSは大学へ入る際に使われるテストであり、ビジネス用ではないということから考えると他にビジネス用のテストはない。TOEICが選ばれている理由もわかることはわかる。

ただ、TOEICが偏重されているおかげであまりに点数を取ることばかりを目指す人が多い。日本の学校のテストとよく似ている。テストで点さえとればいいというようなスタイルと同じになってしまっている。本当に使える英語力でないと意味がないというのに。○年前に800点取れました、でも今はもう500点です、という人もけっこういる。詰め込み式の日本人の勉強法には合うのかもしれないが、これでは意味がない。例えば、単語を覚えるのにも読んで意味がわかるレベルと使えるレベルというのはまったく違う。3つの似ている意味の単語があれば、読む分には全部同じように訳せばいいが、使う際にはその違いが問題になることも多い。何より意味だけでなくその単語の使い方を知らなければいけない。動詞ならどの文型が取れるのか、どんな前置詞と仲がいいのか、等。

確かにTOEICの点数が転職・就職に重要視されているということは紛れもない事実であり、英語力のひとつのものさしであるとは言える。ただ、英語を勉強する方はその先にあるものを見据えたほうがいいと思うし、使える英語力ということを念頭におく必要があると思う。

TOEICは使える英語力を身につけていく過程で自分の伸びを確かめるのに使うテストという位置付けが正しいと僕は思う。TOEICの点数が目標ではなく、英語力を伸ばすのが目標で、その伸びを確かめるためにたまにTOEICを受けて点数にしてみる、という感じである。

近い将来、もっと英語力を包括的に点数にしてくれるテストが出てくればなぁと思うが、難しいだろうか。

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Friday, April 03, 2009

 

英語と政治

毎日のように不況の話である。

サブプライムローンからはじまった世界同時不況。さすがに、どの国にも不況の影響は色濃く出てきている。日本でも派遣切りやらなんやらとマスコミもはやし立てているし、企業の決算を見ても「○○年ぶりの赤字」というのが多い。貿易大国日本がついに赤字というのだから、かなりの惨状だと言える。これはどこの国でもそうだ。日本はまだマシなほうだと思われてきたが、とんでもなく、アメリカの次に悪いぐらいではないかという数字が出ている。

というわけで、どこの国もかなりの手を打ってきているわけである。アメリカはもうなりふりかまわずにきているし、将来返さねばならない国の借金よりまずはこの状況をなんとかするのが先だろう、という意志が伝わってくる。どこの国でも相当に大規模な景気刺激策を打ち出して景気の回復に必死である。

さて、わが国日本は・・・というと。目玉が定額給付金に高速の割引だという。面白くないエイプリルフールの冗談のようにしか思えない。本当はもっともっと大規模なものが必要なのだが、どうにも危機感というものが見えてこない。高速もシステムが整ってないままに見切り発車して1000円のはずが二倍取られるだ、とかもうひどい話である。いきあたりばったりという言葉しか思いつかない。

これが日本という国の政治、体制を象徴している。警察に行っても事件がおきなければ動いてくれないし、すべては問題が起きてからようやく動き出す。もちろん、起きてからでは手遅れなのである。要は、長期的な視野で物事を見ていない。すべていきあたりばったりなのである。政治家は将来の日本ではなく目先の票につながることしか言わない。例えば、将来絶対に福祉にお金が足りなくなりますから、消費税今のうちに上げましょう!と言ってくれる政治家はいないものなのか。

ま、日本の政治は専門家の批評にまかせるが(僕はもう麻生某という人に期待はできないことは絶望的にわかっている)、この長期的な視野というのは何にでも当てはまる事である。英語の勉強もそうで、英語を使う部署に異動になって、明日から英語が必要なんです!と言ってもそうは簡単に身につくものではない。常に先手を打って動いておかなければいけない。そして、英語をやろうと思ったのなら、焦らずに段階を踏んで勉強していかなければいけない。書けない人がしゃべろうとしても無理だし、単語を知らない人がリスニングできるようになろうと思ったって無理なのである。

「どれくらいでTOEIC○○点取れますか?」という質問をよく聞くが、あまり好きな質問ではない。その点数を取るためにやることは決まっているが、あとはそれをその人がどのペースでやるかということだけなのである。TOEICの点数だけでなくもっと長期的な視野を持って、どうやって使える英語力を身につけるかというところに主眼を置いてもらいたいと思う。その途中でTOEICを受けてみたらこんな点数でした、が理想である。TOEICの点数は自分の伸びをはかるものさしにはなるが、決してゴールではない

日本の教育を見ていても英語を話せる人材を育成する気があるようには思えないし、というよりもいつになったら英語を完璧に話せる総理大臣が出てくるのだろう。英語と政治、なにかいろいろと考えさせられる最近である。

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Thursday, March 05, 2009

 

過去と英語の話

当校では文法や語彙を非常に重要なものだと考えている。これは、自分が勉強してきた経験からも言えることであるし、英会話学校で教えるなかで実感したことでもある。英会話学校で教えていた我々がなぜ独立することにしたかと言うと英会話学校のような文法を軽視するスタイルでは自分たちの思う理想のレッスンは実現できないし、また文法を重視する学校に勤めようにもそのような学校がそもそも少ない。

さて、その文法がなぜ大事なのか。

個人的に思うことだが、過去を振り返る人、振り返らない人いろいろといると思う。すべて過去のことは忘れて生きている人、過去に執着する人・・・。僕の考えはこうだ。過去というのは間違いなく僕を作り上げてきたものだし、決して目を背ける必要はない。けれど、過去に戻りたいとかあの頃こうしておけばよかったのに、という結果論はあまり意味のないことだ。必要なのは過去から学んでよりよい自分になっていくことではないだろうか、と。過去の失敗を分析することはいいことだ。そのときの失敗をくよくよするよりもこれからの自分に生かしていく。過去をすべて忘れて生きていくなら、逆に言えば過去のことはまるで役に立たないということで、自分を向上させることはできないのではないかと思う。

これを英語に関して考えてみる。英語にも似たようなことが言えるように思う。例えば英語を話してミスをするとする。「あー間違えた、なんでこんなに英語が下手なんだ!」とくよくよするよりもどこが間違いだったのか、あー次はここをこう直していかないといけないんだな、と学習することが重要である。間違えた事を忘れるだけではまた次も同じミスをして相手に伝わらないということになる。

自分の間違いを理解して次につなげるためには、文法と語彙の知識が必要不可欠である。自分の文が正しいかどうか確認する術は文法と語彙しかない。文法を知っていて自分の文が正しいという根拠があれば、自信を持って英語を話せるのである。話す際の勇気にもつながってくる。ネイティブと話して「Pardon?」と言われて焦るのは自分の文が正しいという自信がないからである。自信がないと声が小さくなる、リズムが悪くなる、結果として自分の力が100%出せず、英語が通じない。そして、通じないから自信を無くすという負のスパイラルに陥っていく。

文法を知っていれば、例えばミスをしてネイティブに直されるとする。そこで「あれ、僕としてはこうこうこういう文法を知っていて今それを使ったんだけど、何が間違ってるの?」と聞くことができ、「あーこのケースではこういうふうな例外になるのか!」と学習することができる。そうすれば、次に同じ間違いをする事はないだろう。

自分の間違いを次につなげるために、そして自信を持って英語を話すために、我々は文法のマスターが不可欠だと考えているわけである。

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Wednesday, February 04, 2009

 

2009年にあたって

前回からかなり間隔があいてしまった。正月休み等があったのもあるが、年明けから嬉しい悲鳴というか、当校に興味を持ってくれた説明会希望者の方が多く、普段より忙しかったのもある。なにはともあれ、遅ればせながらあけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします。

さて、説明会、入学希望の方が最近多いという話であるが、これは不況と関係もあるのだろうかと思う。誰もが、自分の将来に向き合い、会社は信じられない、信じられるのは自分しかない、という意識になっているのかもしれない。そこで、自信の持てる能力を身に付けたい、というような方が多いように思う。教える側としてはモチベーションが高い方を教えるというのは至上の喜びであり、本当にありがたいと思う。やはり傾向としては、仕事で英語を使うので、という方が多い。

不況というと誰もが財布のヒモが堅くなるというようなイメージもあるが、どうも自己投資という点では別のようである。自己投資をする人というのは、このような重要な局面こそお金よりも大事なものを求めているように思う。自分自身もそのような人を見ていると勉強することがたくさんある。英語を教えるという立場ではあるが、人間同士のコミュニケーションがそれよりも前提にあり、このような仕事をしていると生徒の方から刺激を受けることはよくある。これは小学校や中学校の先生とは違うところなのかもしれない。先生と生徒というよりは、時には友達であり、時には家族のようであったりする。授業中に英語で恋愛の相談を受けたりすることもあるし、まずは英会話云々の前に人間同士の付き合いが根底にあると思う。

今年も入学してくる生徒の方や様々な人との出会いがあるだろう。これを自分の糧にして自分も成長していきたいと願う。

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Monday, December 08, 2008

 

子供の潜在能力

子供に英語を学ばせようという風潮が高まってきている。

小学校での英語の導入、キッズ英会話等。個人的には少し懐疑的なところがある。子供に英語なり言語を身につけさせたいなら、週1回キッズ英会話に通わせるとか小学校で週数時間の勉強がある、では中途半端といわざるを得ない。もちろん、ただ、英語に親しんでほしいというぐらいの気持ちで子供を英会話に通わせるのはいいと思うのだが、それでぺらぺらになると思ったらそれは間違いだろう。

2ヶ国語、3ヶ国語を話す例を何人か見てきた。両親が日本人で小学校に上がる前ぐらいにカナダへ移住してそのまま育った人。この人は完全に第一言語が英語で日常会話ぐらいの日本語はわかるという感じだった。家でも英語を話していたそうである。ちなみにこの人にはお兄さんがいて、お兄さんの場合はカナダに渡ったときにすでに小学校中学年だったため、第一言語はどちらかというと日本語だということである。両親とも日本語で話すそうである。

両親が国際結婚でチェコ人とウクライナ人という友達。この友達の場合には、外ではチェコ語(チェコに住んでいるため)、家ではお母さんと弟とはロシア語で、お父さんとはチェコ語で話すというかなり複雑な環境に育っている。その結果、彼女はどちらも第一言語のように話せると言う。頭の中にスイッチのようなものがあるのか?と聞いてみたが、彼女自身にもなぜ自由自在に言語をスイッチできるのかはわからないそうだ。ちなみに英語も特に不自由なく話せ、今は日本語を勉強している。言語的なセンスが幼少時に磨かれているのだろうか。

子供に2ヶ国語をマスターさせようと思ったら、まずは家庭と外での言語を完全にわけて、大体半分ぐらいずつの時間をそれぞれの言語に費やすようにしなければダメそうだ。ということは日本に住んでいたら、インターナショナルスクールに通わせるか、家では英語しか話さないという環境ではないとダメということになる。

それでは、外では英語、家ではお父さんと日本語、お母さんとドイツ語というような環境の場合には子供は3ヶ国語をマスターできるのだろうか。僕はできるのではないかと思っている。しかし、このような環境で育つと自分の家庭が特別だということにいつ気付くのだろうか。そのときにショックのようなものはあるのか、まだまだ僕には興味のあることがたくさんある。今度はそのような環境で育ち3ヶ国語を使いこなす人に会って聞いてみたいものだ。

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Sunday, November 09, 2008

 

The United States of America

オバマ氏が大統領選に勝利した。

僕は正直言ってアメリカという国に決して好感は持っていなかった。人の命を一瞬で終わらせてしまう銃の所持がOKなんてのは正気の沙汰とは思えないし、ブッシュ大統領やクリントン前大統領にもまったく共感・尊敬の念は覚えなかった。もちろん、アメリカが嫌いだ!というような強いものでもなく、ただ漠然と海外旅行に行くときに僕のなかでは候補にあがらない国という感じである。

オバマ氏が最初の黒人の大統領であると言う。はっきり言って、そのようなことが重要視される時点で人種差別は色濃く残っているというのは明確なのではあるが。なんにせよ、この新しい歴史の1ページは好ましいことであるには違いない。

黒人なのに大統領になってすごい!というより僕はこのオバマという人が相当に魅力的な人間であり政治家だと思う。勝利演説を聞いたのだが、このにじみ出る「斬れる」男の雰囲気といい、人を否が応でも魅了する演説といい、どうにも僕が知っている大統領とは格が違うように思う。演説のうまさという点では日本で言うと小泉さんのようなものか。「我々は単なる個人の寄せ集めではない、そう我々はいつだって、そしてこれからもthe United States of Americaなのだ」というくだりは、かっこよすぎてちょっと鳥肌が立った。

彼が演説で言ったように決して道は平坦ではないだろう。差別的な考えを持っている人はまだまだいるだろうし、若い、経験不足だと叩かれることもあるのかもしれない。それでもこの男なら何かをやってくれると僕は思う。これからのアメリカに期待である。まずは戦争のない国にしてもらいたいものだ。

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Friday, October 24, 2008

 

英会話のマスター

個人的な話になるが、プラハ(チェコ)に行ってきた。ヨーロッパに行くのは初めてなのだが、友達に会うついでに行ってきたわけである。

チェコはチェコ語である。しかしながら、ヨーロッパ有数の観光地ということで、お店ではほぼ英語でオッケーである。郊外の小さな街にサッカーを観に行ったときには誰も英語をしゃべれなくてけっこう焦ったが。プラハではそんなことはなかった。

とは言ってもあちらも第二言語。べらべらーっとまくしたてられることもないし、ネイティブスピーカーよりは理解しやすいものと思われる。ネイティブスピーカーだとスラングだなんだとトリッキーな言葉を使うことも多いが、そういうこともない。外人恐怖症の人も幾分落ち着いて話せるのではないだろうかと思う。

ふと、そういえばこんなことが前にもあったなあという感覚を覚えた。

それは、オーストラリア留学時の英語学校のことだった。あちらにわたって間もないころで、英語には自信はないし、ネイティブの友達を作ろうにもつたない英語に辛抱強く構ってくれる人はそんなに多くはない。ネイティブから表現を盗めと言ってもリスニング能力に根本的な問題があればそれは難しいことである。英語学校だと留学生しかいないし、僕は自然と韓国人やタイ人と仲良くなった。

このような第二言語同士の会話には利点がある。まずは焦らなくてもいいということ。そして会話のスピードがそれほど速くないということ。相手がばーっとまくしたててくることがないために、お互いの会話量が偏らないことが多いということ。ネイティブと英語力が足りない段階で会話をしようとすると、会話についていくことが精一杯で自分の言いたいことが言えない、または文を作る余裕がなくて単語での会話になってしまう、その結果、コンプレックスを抱いてしまう、というかなりの悪循環に陥る。

ある程度の流暢性、英語力を持つまでは第二言語の人と英語を話すということは非常にいいトレーニングになると思う。むしろネイティブスピーカーと話すよりもいい訓練になることもある。

僕の場合にはオーストラリアに渡った時分には、文法、単語は受験勉強のおかげでかなりのレベルにあったと思うが、流暢性がまったくなかった。僕の担任の先生の僕の英語力への評価は高かったが、ライティング、リーディングなどの会話以外の面を知らないカウンセラーなどは全く僕の英語力を評価してくれず、大学に行くと言っても厳しいことを言われた記憶がある。

その頃の僕に必要だったことは、頭の中にある知識をどんどんと口にして会話できる力を磨くことであって、ネイティブの速さについていくことではなかった。そのためには、第二言語同士で英語を話すということは非常に役に立ったし、いいトレーニングになった。

つまり、文法・単語などの基礎を叩き込み、まずは読み書きができるようになる→第二言語同士で会話をする→ネイティブと会話をする、が話せるようになるための一番いい方法ではないかと僕は思う。変な癖やコンプレックスを持たないためにもまずはステップを一段ずつ上がっていくという気持ちを英語を勉強している人には持ってもらいたいと思う。なぜかプラハ旅行から帰る飛行機の中でそんなことを改めて思った僕だった。

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Friday, September 26, 2008

 

夢?妄想?

個人的なことなのだが、英語に関する夢がある。叶えるのはかなり難しいが、もし明日どさっと億単位のお金をもらえたとしたなら、そのお金で遊んで暮らすよりもこちらの夢を実現させたいというぐらい叶えたい夢だ。

最近思うことがある。格差社会というのは資本主義ということを考えても避けられないことなのかもしれないが、格差社会=不平等な社会であってはいけない。競争が行われて、その結果負けてしまう人が出てしまうのはどうにも避けられないとしても勝負は同じ土俵で行われなければいけない。そうすれば、競争に負けたとしてもまた這い上がれるチャンスがある。

ネット難民とかニートとかいろいろな社会問題が格差社会というものを浮き彫りにしているが、確かにその人たちにも非があるところは否めない。例えば精神的に弱い、とか。だが、例えば高卒だったとする。求人広告を見ても高校卒ははじかれる事が多いように思う。その後いくら努力をしていようが仕事の選択肢がひどく狭くなる。その一方で大学の学費の高さはなんなんだろう。優秀な人材がいても経済面でいけない人だっているだろう。医者になろうとしたら学費的にやはり医者の息子・娘しかなれないではないか。医者=世襲制であり、この前の大分の事件ではないが、教師の採用も賄賂とまではいかなくてもたぶんにコネの影響が強いことは想像に難くない。親が教師で子供も教師というのはよくあるパターンだし。

別に政治に詳しいわけではないのだが、今回の麻生内閣を見ていてぼんやりと思うのは政治家もやっぱり世襲制だなあということである。少子化担当相・小渕さんの娘というのには正直びっくりした。国のトップで最重要なことがこれか・・・と思った。中曽根、鳩山、中川・・・国のトップの大臣の中にこれだけ二世が含まれているという事実がある。これで平等な社会とはどうにもなぁ、と思ってしまう。まあ、政治家が悪いというよりも投票している国民に問題もあるんだろうけども。いや、僕は別にこの人たちが好きとか嫌いではなく、ただ客観的に見ていてそう思うだけなのだが。例えば、大物政治家の二世が同じ選挙区で旗揚げすれば、楽々と当選してしまうようなのはどうにかならないものか、と。

僕がこのような不平等な社会を打破するのにできることと言ったらこれは英語しかなくて。日本の英語教育は見ての通り、大変なことになっているし、どうやら改善の気配も見えない。もちろんこのような英語学校を運営している僕等からすれば、改善されてみんなが英語できるようになったらそれはそれで困るんだろうけども。

まあ、前置きが長くなったが、世襲制、学歴主義が跋扈するこの不平等な社会を超越する、英語だけを勉強する全日制の学校を作るのが僕の夢である。この学校を出た人間は誰もが英語がぺらぺらでTOEICはもちろん満点、というような。「学歴ありませんけど、この英語力でもダメですか?」と堂々と言えるような、「まー日本で仕事なかったら海外で仕事するからいいですよ」とさえも言ってしまえるような日本という小さな枠ではなく世界で通用する人材

その代わり相当スパルタで、全寮制。部屋はネイティブスピーカーとシェア。単位を取らなければ、絶対に上の学年には上がれない。単位を落とさずに卒業できれば、卒業時に学費を返還。根性さえあれば、お金がなくても大丈夫。そもそも学校なんてのは、入ることよりも出ることのほうが難しくて然るべきである。そして、何らかの能力が身につかないと意味がない。そういう意味でもこれが本当の学校であると思う。

夢というより妄想かもしれない。まあ、でもこれからプロ野球選手を目指すというほど不可能なことでもないかなとも思う。

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Sunday, September 14, 2008

 

脱・直訳

よく生徒の方に言われる質問がある。「同期って英語でなんて言うんですか?」

同期・・・日本だと同期入社というのは結びつきが強くて、すごく仲がいいことが多い。会話のときにその同期との話をしようとしてはたと止まってしまうわけである。それで僕もはたと思う。はて、オーストラリアで同期なんて話を聞いたことがあったのかな、と。もちろんそのときは学生だったわけだが、経営のクラスなんかだと働きながらきてる人が半分ぐらいいたからそんな話聞いててもおかしくないのだが。

結論から言うと、「同期入社」という言葉は英語にはない。いや、正確にはこのように簡単には言えないわけで、関係代名詞を使って「一緒の年に一緒の会社に入った友達」というふうに言うしかないのである。終身雇用ではない外国では、同じ年に入ったことにそれほど重みはないのだろう、と思う。だから、この言葉が出てくる頻度も低いし、簡単に言う言葉も生まれてこない。文化的なことが関係している。このように日本語では簡単に言えることが英語では簡単に言えないこともある。そういうことを考えても直訳というのは無理であるというのは明らかである。

直訳の悪癖がある人は、例えば「勤続何年?」というのを「What is the term of your continuous employment?」というようなことを言ってしまいそうになる。もちろんこんな英語は堅苦しすぎて、会話でこんなことを言ってみたら外人はふき出すとは思うが、直訳をしなければ、という強迫観念のようなものを持っているとこうなってしまいがちである。これは日本の教育も悪い。はっきり言って学校の英語の教師の頭が堅すぎて定められた答え以外は認めないシステムになってしまっている。英語ではないが、高校のとき「北朝鮮の首都はどこか?」という問題で「平壌」と答えたら×になった。答えは「ピョンヤン」だそうだ。ジョークを言っているのかと思って質問に行ったのだが大真面目で僕の解答が○になることはなかった。wikipediaを見るまでもなく、ピョンヤンを漢字で書くと平壌なのだが。

話がそれた。このように文化的なことなどが原因で、日本語で簡単に言えることが英語では言えなかったりその逆もある。例えば、「mortal」という単語があるのだが、意味をご存知だろうか。この単語を初めて知ったときにはびっくりしたのだが、これは形容詞で「死ぬ運命にある、死ぬ事になっている」という意味である。何たる単語か、たぶん宗教的なことが背景にあるんだろうと思う。死ぬとかそういう言葉が仏教ほどタブーではないということに遠因があるのだろう。

ある日本語の文を英語にしようとすればその人によって文は少しずつ違ってくるわけである。そしてそのどれもが正解であったりする。結局違う言語であるので、直訳には無理があり、文を作り上げるのは自分自身。頭を柔らかく、インターネットの翻訳サイトのように変な英語にならないように気をつけたいものだ。そのためには、まず日本語の言葉ひとつひとつを捕まえて英単語にしていくのではなく、文全体で言いたいことは何か、をとらえて英語にすることだろうと思う。映画の字幕を見ててもえらい長いセリフを言っていたのに字幕が「そうなんだ」とやたら短くなっていることがあるが、あれは翻訳する人が手を抜いているのではなく、文のエッセンスをとらえて日本語に翻訳しようという努力の賜物である。あの感覚を勉強していくとより自然な英語を話せるようになるのではないだろうか。

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Sunday, September 07, 2008

 

日本のよさ

海外に滞在した事がある人に多いのだが、「日本は最悪だ、アメリカ最高!」のようにカブレてしまう人がよくいる。いわゆる欧米コンプレックスなのだと思う。

僕は4年間オーストラリアにいたので、よく洋楽ばっかり聴いているのだろう、とかオーストラリアに永久に住みたいと思っているのだろう、と聞かれたりすることもあるのだが、残念ながらミスチルばかり聞いているし、オーストラリアに永久に住めると言われても即決はできない。考えた末にNOと言うかもしれない。

オーストラリアにいるときに、自分の英語に自信の持てるまでの2~3年間、日本人とは関わらないようにして生きていた。別にすましていたわけではなく、僕には大学を出るという至上命題があったので、自分を甘やかしたらどこまでも甘やかしそうで不安だったからである。かといって最初の1年ぐらいは、ネイティブと完全に渡り合えるほど流暢性もなく、1人で行動することも多かった。もうなんでも勉強だと思って、いろいろなものに無謀に飛び込んだ。

いろいろと体験してみるとオーストラリアについて深くわかってくる。4年もいると悪いところもいいところもはっきりと見えてくるわけである。夜歩いていると突然車が止まって窓から人種差別的なことを言われたりしたこともあるし、日本人より時間にルーズすぎるオーストラリア人にいらっとすることもあった。電車も遅れても何もアナウンスもないし、慣れるしかないのだが、何もかも日本とは違う。家族を大事にするところ、とにかく能天気なところ、いろいろといいところもある。

同時にわかってくるところがある。それは日本のよさ。悪いところばかりクローズアップしていたのが、日本のよいところも確実に見えてくる。日本も悪くないじゃないか、と。他の国のほうが日本より上だと言い張る人はたぶんその国の悪いところも見えるほど深く関わっていないのだろう。食べ物もそうだし、四季があるということの素晴らしさ。人々が協調性が高かったり、なんだかんだいっても礼儀正しかったりもする。

日本にはいいところもたくさんある、それを再確認させてくれるようなことが最近あった。

ヨーロッパの人と触れ合う機会がたびたびあったのだが、もう訳がわからないぐらいに親日家という人がけっこういる。日本人というだけで全面的に信頼されたり、明らかに好意的に見てもらえたりする。聞いてみると日本の文化が好きで、ほんのささいな僕らが気付かない日本のよさに気付いていたりもする。なんだかんだ言っても日本人は外人に優しい、と彼らは言う。日本人は気を使う。行く先々で助けてくれる、と言う。確かにそうなんだろう。きっと日本のあちこちで心優しい人が外人を助けているのだろう。自分の国が好かれているということはすごく気持ちがいい。日本に来た事がない人でも日本に好意的なイメージを持っている人はたくさんいる。誰がこんなに日本の評判を高めているのだろう、と不思議に思うくらいに。

中国や韓国の人には、日本をよく思わない人も確かにいるとは思うが、最近ではマンガや映画などの若者文化のおかげで若者の反日感情はかなりなくなってきたように思う。マンガは我々が思う以上に世界中で日本のイメージ向上に貢献しているようだと実感している。ドイツ人もスペイン人もロシア人も韓国人も香港人も読んでいるのである。マンガ好きの麻生さんが首相になって、マンガが好きだと世界にアピールすると意外に好意的な反応があるんじゃないかと密かに思ったりもするが。

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Monday, August 11, 2008

 

世界の共通言語

先日、日本語を学びに日本に来ている外国人留学生をガイドする機会があった。

ガイドしたのは、台湾、ドイツ、オーストリア、ウクライナ、スペインの5名。明治神宮や上野を回ったのだが、彼らは日本にきて1週間ぐらいで日本語はかなりの初心者レベル。簡単なことなら話せるのだが、なかなか自分の言いたいこと、聞きたいことを日本語で話すのは難しい模様。そこで、結局英語でコミュニケーションを取ることになった。

驚いたのはみんなの英語のうまさ。ヨーロッパ圏は確かにみんなうまいイメージはあるのだが、ドイツ人なんてまだ高校生である。それに加えて、台湾の大学生も英語をきちんと話せる。確かに中国語やほとんどのヨーロッパの言語は英語と文法が同じなのでマスターしやすいことはあるのだが、それにしてもみんなストレスなく自由にコミュニケーションが取れるレベルである。英語、母国語が話せて、そして今日本語という第三の言語を勉強しているわけである。これが世界基準なのか。英語はできて当然、その次の言語がようやく武器になる、ということなのだろう。はっきり言って「日本の教育は何をやっているのか」と思ってしまった。一国の首相が英語を話せないということは世界的にはかなり軽蔑されることなのかもしれない。

なぜ英語が共通言語なのか、とかそういう疑問は確かにあるとは思うが、英語には敬語もないし、前に書いたように日本語よりはかなり簡単な言語である。女性名詞、男性名詞などもない。共通言語としてはちょうどいい言語だと思う。

英語は紛れもない世界の共通言語なのだなぁーと実感した一日だった。そして僕達はそのような世界の輪に入っていける生徒をどんどんと育成していかなければいけないなあと気持ちを新たにした次第である。

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Tuesday, August 05, 2008

 

第一言語と第二言語

日本語を勉強している外国人に質問されて困った経験はないだろうか。例えば、「私は英語が勉強している」という文は間違いで「私は英語を勉強している」が正しい。それをその人に言うと「それではなぜ間違いなのですか?」という質問が返ってくる。ここで非常に困ってしまう。「そういう言い方はしないんだよ」「なぜですか?」と延々と押し問答が続く。

もしくは、こちらが「I go Tokyo」と言うと「それはI go to Tokyoだよ」と英語のネイティブスピーカーに直され、「ふむふむ、そうなのかgoにはtoが必要なのだな」と思って、「I go to home」と言うと今度は「I go homeだ」と直される。「なぜなんだ?」とそのネイティブに聞いても「homeの場合はtoをつけないんだよ」としか説明がされず、頭の中にはハテナマークがたくさん回っている。

これが第一言語と第二言語の違いである。第一言語の場合は、経験的にその言語をマスターしているので理屈はわかっていない。これは暗記の手法に近い。「私は~をしている」という文を何万回、何億回と聞いたり使ったりしたことがあるので、「私は英語を勉強している」という文を考えずとも自然に作れるのである。だから「なぜだ?」と言われても答えられない。

しかし第二言語を学ぶ際に、第一言語のように考えないで文を作れるようになろうと思うと膨大な時間がかかる。我々がネイティブのように経験的に学ぶやり方で英語を学ぼうとするなら、とてもじゃないが、数年の留学ではおっつかない。毎日24時間英語漬けという環境を少なくても10年ぐらいは必要なのではないか。子供であればもっと短いだろうが。それぐらい「経験的に」学ぼうとすることは効率が悪いのである。

僕が英会話スクールで教えていた際に感じたのがこの「第一言語的な英語習得」の限界だった。授業に来て毎週1時間英語を話すだけでは絶対量が足りなすぎる。週2回にしても大した違いはない。この方法では英語をマスターできるわけないのだ。もっと近道を進まなければ到底無理である。

その近道が文法・語彙であることは僕にはわかっていた。例えば、ネイティブが「go」という動詞の使い方をマスターするのに、いろんな例文を生活の中で聞いてじっくりとマスターしていくところを「goは後ろが名詞の場合にはtoが必要です。homeは副詞なのでtoはいりません」と最初にルールをカンニングしてしまえばいいのである。子供は吸収力、順応力に優れているが、大人は逆に論理的思考、応用力に優れている。第二言語を大人がマスターするには、これしかない。そんな信念の元に我々は学校を開いたわけである。

文法というとめんどくさい、難しそうと思う人が多いとは思うが、はっきり言って経験的に英語を学ぶのと比べるとはるかに簡単で、近道である。それに多くの人が気付いてくれればと思う。

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Monday, July 14, 2008

 

留学のすすめ

これを読んでくれている方のなかには海外で勉強しようと思っている方もいると思う。そこで、参考のために僕自身の留学の話について今回は書きたい。

僕は学生時代から英語が好きだったわけでもなく、どちらかというと苦手で、海外への憧れも皆無だった。そんな僕がなぜ留学することになったのか?ということをまず説明したい。

通っていた高校は附属の大学もついていて、とにかくほぼ全員が大学へ行くという状況だった。大した哲学も人生のプランもない僕も当然それにならって、なんとなく大学へ行くつもりでいた。けれど、まず何が勉強したいのか、よくわかっていなかった。そして、そのころバイトをしていたのだがバイト先には大学生が多く、その人たちや同じように大学生だった兄を見ていて、大学で何かが身につくとはどうしても思えなかった。将来を考えると、大学に行ったところでおそらく「卒業した大学名」だけしか実質役に立つモノは得られないだろう。でも僕には学歴社会というどうにもナンセンスなものが未来永劫続くとは思えなかったし、大学名だけを頼りに、人生渡り歩いていけるものとはとうてい思えなかった。

人生で武器になるような何かがないと将来生きていけない、そして高校を卒業したらまずはそのような能力・武器を身につけてから社会に出るべきだ、と僕は結論を出した。そしてそれは大学では絶対に得られない。このまま流されて大学へ行けば、大学でも大半の大学生のように遊びまわって、気付けば何も得られないまま就職を迎えるんだろう。

その旨を父親に言った。大学には行きたくない。例えば、調理師とかきちんと人生を通じて使えるような能力を僕は身に付けたいのだ、と。それまで、人生を通じて、父に「あれやれ、これやれ」と言われたことは一度もなかった。僕がやりたいことであれば、父はいつも快く承諾してくれる人なのだ。

ところがこのときは、はっきりと静かに言った。「大学には行きなさい」。

人生を通じて使える能力を身につけたい、けれど大学には行かないといけない、この条件を満たすのが留学だったのである。海外で大学に行けば、僕は少なくとも「英語」という武器を手に入れることができる。

こうして、僕は留学することになった。

留学をして、学んだ事はたくさんある。まずは人間としてタフになることができた。留学生にはいろいろな人がいて、勉強などは二の次で遊びまわっている人も多い。そのなかで、まずは大学に無事入って、単位を落とさずに3年で出ないといけないという条件の僕は、人に惑わされずにストイックに目標へ向かって一人で努力することを学んだ。

そしてオーストラリアという国の文化を肌で感じることによって、日本のよさもわかったし、日本のおかしいところもわかった。日本にいると「これが普通だ」と信じ込んでいたものが全然違ったりする。2つの国の文化はもちろん、他の国の留学生からは他の国の文化を勉強できるし、僕はそれらを吸収・理解して自分なりの価値観を構築することができた。たぶん、いろいろな国を見れば見るほど、自分なりのバランスのとれた価値観が身についていくのだろう。

留学をして本当によかったと思う。時間とお金が許せば、また大学院にでも行きたい気持ちはあるが、現実的には仕事のこともあるし無理な話だ。ただ、生徒が留学していくのを見るのは楽しい。人間的にも一回り成長して、そして英語的にも爆発的に伸びてほしいと願っている。もちろん、英語が爆発的に伸びるためには、留学する前にしっかりと下地を日本で作る必要があるわけで、そこを教えるのが僕の役割であり、英即校の使命であると思っている。

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Thursday, July 03, 2008

 

単語について最近考えていること

英語でなくても言語を勉強している方はわかると思うが、単語というのは必要不可欠なものである。ブロークンでも単語を並べて通じればいいという人だとしても単語はやはり必要になってくるわけである。言わば単語は基礎体力のようなもの。いいサッカー選手になろうと思えば、まずは90分間走れる体力がないと技術云々の話にさえならないわけである。最近、個人的に僕もフットサルに熱中しているのだが、パスの精度だ、シュート力だというよりもまずは走り回れる事が本当に重要だということを実感している。

けれどサッカーもそうだが、基礎体力を伸ばすという作業は非常に地道でつまらないものである。例えば、ランニング、腕立て、腹筋、というようなものである。地味すぎる。単語の勉強もやはりそうだ。それでつまらないからと言って単語をおろそかにして、いつまでも英語力が伸びない人がなんと多いことか。この状況を僕はいつも憂えている。

そもそも中学校、高校のテストもよくない。テストさえパスすればもういいよ、とみんなが思っている。一夜漬けでも相当な効果が上がるし、大学受験で恐ろしい数の単語を覚えても入学して数ヶ月でアルコールの波間に消えていく。本当は単語は絶えず見直しをして、いつでも頭の引き出しから出てくるようにしなければいけないのに。まずこの中学、高校のときのような単語への考え方を抜本的に見直さないと効果的に単語は定着していかない。

そして覚える際にも皮肉にも歳とともに記憶の定着は悪くなっていく。これはおそらく脳医学的にも仕方のないことなのだろう。高校生のときにはぼんぼんと頭の中に入ってきたのに全然入ってこなくなる。何か効果的に覚えられる手段はないものかと思う。

秋元康だったかが、このようなことを言っていた。「音楽とは思い出のしおりである」と。例えば中学時代によく聴いていた曲を聴くと鮮明にそのときのことが思い出されたりする。失恋の曲、結婚式に流れた曲、親友と朝まで飲み明かしたときに聴いていた曲、その曲ひとつひとつが何年経っても強烈にしかも至極鮮やかに記憶を蘇らせてくれる。

脳の話になるが、音と匂いというのは記憶に直結しているものらしい。つまりこれを効果的に使って、単語を覚える手段はないものかと最近考えている。例えば曲を聴いて記憶を思い出すのであれば、その単語の発音を聴くと意味がぱっと思い出されるというようなことが可能のようにも思えるのだが。これを実現にうつせるアイディアを毎日教えながらも探している今日この頃である。

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Tuesday, May 27, 2008

 

他の英会話スクールとの差別化

最近、入学していただいた新入生の方には他の英会話スクールに行った経験がある方が多い。
これはとても望ましいことである。大手英会話スクールと比較した結果、当校を選んでもらえるというのはありがたいことだ。

はっきり言って学校の立地条件などでは大手英会話スクールには到底かなわない。駅前ではないし、制服を着たきらびやかな受付の女の人がいるわけでもない。広告もホームページを開いているだけという状況だ。元々、自分達の理想のレッスンを提供して、生徒の方の英語が最大限に伸びる学校を作ろうということで開いた学校である。どうやって生徒を集めるか、というところよりもどのように生徒の方に満足してもらい、通い続けてもらえるか、ということを主眼に置いている。おかげさまで1年以内に授業に満足できずやめるような生徒は皆無に等しい。

当校の学校としての意義としては、他の学校との徹底的な差別化がある。当校にはネイティブ講師を常駐させていない。ネイティブとの授業ありきと思っている方にはまったく見向きもされないと思うが、我々にも確固としたポリシーがある。そもそも第一言語と第二言語では習得方法そのものに違いがありすぎるため、第一言語の人に第二言語の人が納得できる説明を引き出そうと思っても到底無理な話である。日本語を勉強している外国人に日本語の説明をすることを考えたら想像できるだろう。「これはこういう言い方だからこうなるの」という説明しかできないのが第一言語の人と言える。もちろんネイティブの活きた表現は参考にはなるが、それであれば映画やテレビにも活きた英語はあふれている。

「ネイティブと会話する機会を売る」学校はたくさんあるが、我々はそれで英語が理想的に伸びるとは思わない。もちろん運営側からすれば、ネイティブを雇って、あとは任せて教えさせるだけだから、これは小売業のようなものだ。ネイティブの賃金より高い授業料を設定すれば、その分だけマージンが入ってくる。生徒はネイティブと話せれば満足なために授業内容へのハードルも低い。

TOEICなんてネイティブで教えられるはずもないのである。これは第一言語には教えづらい。経験で理解している文法を言葉にして教えるのは至難の業である。第一、英語圏ではTOEICというテストの認知度さえおそろしいほど低く、日本に来てその名前を知るネイティブがほとんどなのである。このような理由で、残念ながら、ネイティブ講師オンリーというような英会話スクールのTOEICの授業は効果的ではないものがほとんどである。

当校は、きっちりと文法も勉強し、海外の大学を出て、活きた表現も存分に吸収した日本人講師が第二言語の観点から英語力が理想的に伸びるレッスンを提供している。会話でもわからないところをわかりやすいように説明できるし、TOEICというテストにも精通している。本当のものを求める方にいつまでも選ばれる学校でありたい。そう思って日々努力しつづけたいと思う。

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Friday, April 18, 2008

 

サンキュー会開催しました


3月の話になりますが、新しい生徒の方の歓迎会、誕生会、そして壮行会も兼ねてサンキュー会という名の定期飲み会を開催しました。総勢20名ぐらいでしょうか。奥のほうで何かを掲げている男の方は、オランダに長期出張で行かれるということでもらった餞別のプレゼントを掲げていますね~。夢がかなって海外出張になりましたが、英即校にとっては初の生徒さんと言っても過言ではない方なので、かなり寂しいところです。でも、生徒の皆さんの夢が叶っていくのを見るのはうれしいことでもあります。オランダで頑張ってきてください!

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Monday, January 07, 2008

 

2008年の始まりですね

皆様あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします。

さて、私は冬休みはゆっくりと過ごしましたが、年末に嬉しいニュースが届きました。担当している生徒の方々が11月に受けたTOEICで目標の点数を突破したというニュースです。英即校では、TOEICの点数だけを目指す、いわゆる「テストのための勉強」というものは奨励していませんが、英語力が伸びた1つの証としてTOEICというものは役に立ちますね。入学時からの300点アップを達成した方もおり、嬉しい限りです。きっと気持ちよく年を越されたことと思います。

今年も英即校は生徒のみなさんが自分の目標を達成できるよう最高のサポートをお約束します。いい機会なので年頭にあたって具体的な目標などを立ててみるといいと思いますよ。今年も頑張っていきましょう!

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Sunday, December 02, 2007

 

日本語は難しい!

デーブ・スペクターとパックンはすごいと思う。尊敬している。

日本に生まれていなかったらと思うとぞっとする。英語圏の国で生まれて、日本語を一から勉強することを思うと、果てしない道のりのように思う。ひらがなから始まってカタカナ、漢字。年上の人と話すときの敬語、ビジネス上のさらに改まった敬語。時候の挨拶。漢字があるだけでももう大混乱なのに、漢字には読み方が2つある。句読点、「てにをは」。なんでこんなに入り組んでいるんだろうと思うぐらいである。

一度飛行機で、香港の飛行機会社だったのだが、客室乗務員の男の人がかなり日本語がうまかった。おそらく香港の人だと思うが、機内食のトレーを下げるときに「お粗末さまでした」という僕もよく聞いたことのない敬語を使っていたほどだった。イントネーションなどもナチュラルで感心していたのだが、たまに突然「あー荷物ですか?とってあげるよ」というように敬語ではなく、友達に話すような口調になったりして、僕的には面白かったのだが、同時にやはり日本語は言語としてかなり難しいものなんだろうなあと思った記憶がある。

しかも、NHKあたりで頭の堅そうなおじさんが、「全然」は否定的な言葉と使うもので「全然いいよ」は日本語としては間違っているのである!、なんてことを無駄に熱く語っていたりする。めんどくさいもんだ、日本語とは。

そんなわけで、英語を勉強している方には、日本語のほうがはるかに難しいもので、それに比べれば英語は難しくない!と気を楽にして勉強してもらいたいと思う。逆に英語で話すほうが日本語のようなガチガチの敬語がないので、人と年上の人でも仲良くなりやすいし、人と人との間の壁もなく、楽なときだってあるだろう。

個人的には、最近携帯とパソコンの進化で漢字を手で書くことが少なくなり、忘れている漢字が増えていることに一抹の不安を感じる今日この頃。

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Monday, November 05, 2007

 

NOVAについて

いやー困った。このブログはBloggerというGoogleのブログ更新・管理システムを使って更新しているのだが、夜になるとそれにつながらないことが多くてここ最近更新できなかった。違うものに変えないといけないかな、と思案中。

それでちょっと遅くなってしまったがNOVAのことである。僕に言わせれば来るべき時が来たか、という感じがしている。NOVAの特徴としては、講師は全員ネイティブで担任制ではなく、チケット制でまとめてチケットを買うと1レッスン単価が1300円とか2000円をはるかに下回る値段になるというシステム。生徒はチケットをまとめ買いしなければならず、しかも多く買えば買うほど安くなるというわけだ。当然ほとんどの人は自分が買える限りのチケットを最初に買って単価を安くしようと考える。はっきり言って1レッスン1000円台は格安も格安である。

これだったら値段的に言えば、NOVAは業界一お得な学校と言えるだろう。しかし、これには当然からくりがある。1レッスン1000円台なんてのは、講師に払う給料が1時間2000~3000円ということを考えれば土台無理な話である。

まず、チケットには期限があって、ほとんどの場合これを消化するには週に3回ぐらい通わないといけない。しかも夜のクラスだと混みあっていて予約を予定通りに入れられない事も多い。結局チケットを余らせてしまう人が大半。そうすると結局後から考えてみると1レッスンの単価は1000円台でもなんでもなくなっている。また、予約が思い通りに入らない状況に解約を申し出ると、最初1000円台の単価でチケットを買ったはずでも消化したレッスンについては5000円とかそのような値段で計算されるというシステム。つまり30万円で200回分のチケットを買ったとして、解約時に50回消化していたら、その50回分×5000円が元の30万円からさっぴかれ、50回しか通っていないのに返って来るお金が5万円になってしまう。昔から、このようなシステムに苦情が多かった。

このシステムは「生徒にどのように続けてもらうか」というよりも「どのように入学させるか」に重きを置くNOVAの自転車操業システムを端的に表すものと言える。

また、NOVAのレッスンは担任制ではなく、毎回クラスメイトも違う。もちろん自分の弱点を知っている先生もいないし、初対面の人がいても堂々と負けずに話せる人でないといけない。毎回知らない人とクラスメイトになるため、必ず自己紹介をしなくてはならず、自己紹介だけはうまくなる、という皮肉めいた話もある。

ただ、このレッスンスタイルは人によってはニーズに合っている。このレッスンは初心者にはまったくもって合わないと思うが、「留学帰りで日本で英語を話す機会がなくなるのが怖いからとりあえず外人と話せればいい」とか「文法とか語彙はしっかりしているので後は話す機会だけ欲しい」という中級~上級者には合っているレッスンだと思う。NOVAに合う人は、「中級~上級者でとにかく話す機会だけが欲しくて、昼に通える人」である。昼なら予約が希望通りに入るだろうし、チケットが完全に消化できるだろう。安いレッスン単価で自分のニーズに合ったレッスンが受けられるわけである。

NOVAを擁護するわけではないが、はっきり言ってシステムは英会話学校のどこも似たり寄ったりである。ためしに英会話学校へ「パンフレットください」と行ってみるといい。別室に通され延々2~3時間拘束され、帰った後も電話攻勢が待っているのが常である。大体の学校が半年から1年のコースを設定しており、月謝制というのがない。本来、レッスンに自信があれば月謝制にできると思うのだが。

消費者側も自分のニーズにあった学校を選ぶ目をもつべきなのだろうと思う。例えば、我々の英語総合即戦学校では、「文法、語彙」+「会話、TOEICの実践」というのを主眼に置いているため、「文法と語彙は完璧です、後は外人と話す機会だけ欲しいんです」という人には合っていない。その代わり「初心者だが、しっかりと文法と語彙も勉強して、理想的な会話、TOEICの伸びを目指したい」とか「英語の経験はあるが、文法がイマイチわかっておらず、伸び悩んでいる」という人に最適の学校であると自負している。逆に我々もニーズに合わない方に無理やり入ってもらうという「押し売り」はせず、一切の営業行為をしていない。それぞれの学校がそれぞれ差別化をはかり、それぞれの消費者に合う学校を作り上げていくべきだろう。

しかし、英会話学校のサイトを見るとなんと授業料が書いていないところがある。商品を売っているのにその肝心の商品の値段が書いてないって・・・。もちろん、これは高くて宣伝材料にならないからなんだろうが、値段が高くてもそれに見合った理由があれば書けばいいのにと思う。「いいです、すばらしいですよ、この商品」と言っておいて値段が書いていないのは非常にうさんくさいと僕は思うけれど。我々は「英語学校」であり、「英会話学校」ではないので、風評被害というようなものはないと思うが、それにしてもこのような英会話業界の体たらくは、ため息しかでない。

英語を勉強したいという方は、今はインターネットで大体の情報は入る時代なので、しっかりと調べて学校を選んでもらいたいと思う。

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Wednesday, September 26, 2007

 

「あるある」ネタ

僕はお笑いが好きなのでよく見るのだが、お笑いのなかで根強いものに「あるあるネタ」というものがある。これは、聞いている人がわかって「あるある!」とうなずけるような話をすることで笑いを誘うというものである。お笑い芸人でいうと、ふかわりょうとかヒロシとかつぶやきシローとかレギュラーとか(ちとブームが去った感のある人ばかりですが)これだけをネタにしている人も多いし、どのお笑い芸人のネタを見てもこの「あるある」の要素は入っている。くりぃむしちゅーの上田という芸人も例えるのがうまくてそれで笑いを取る事がよくあるが、これも万人が「あるある」と思えるような例えなのである。

これは上田さんではないけれど、前にこんな例えをしていた芸人がいた。たぶんダウンタウンの松ちゃんだったと思うが。

「お前、テンション低いなぁー、修学旅行の2日目の朝か!」

これなんかは「あるある」のいい例だと思う。修学旅行は大体の人が経験しているものだし、1日目に夜更かしして騒いで、2日目の朝、みんな死んだように眠そうな顔をしている・・・というような光景さえも浮かんでくる。これは万人が分かることで、しかも「テンションが低い」と言ってもどのくらい低いのか、どんなふうに低いのか、いろいろと細かい差はあるが、それをドンピシャで例えていることで笑いになっているんだろうと思う。島田紳助は他の人のお笑いを研究して、セオリーを考え出したと言っていたが確かにそいういうものは存在すると思う。

ものまねだってそうだ。いまだにゴールデンタイムでスペシャルをやったりするが、「似てる」というのも「あるある」の1つであろう。

この「あるある」は教える事においても重要だと僕は思う。例えば、英語が話せる人はネイティブを含めて、世の中に無数にいるだろう。ただし、自分でわかることとそれを誰かに教えて理解してもらえることは違う。例えば、ネイティブスピーカーに「なんで今の僕の文は間違いなんですか?」と聞いても「それは不自然だからさ」としか説明されなかったりする。これでは、「あーわかった!」という「あるある」的満足感や理解は得られない。

相手に理解してもらえるためには、相手にもわかるような、理想的に言えば、万人が理解できるような例えをするべきなのである。これが実は教える事の極意なのではないかとも思うことがある。教科書に載っている言葉はひどく学問的で、頭でっかちの人が考えた言葉であるため、説明もちんぷんかんぷんである。特に英語の教科書はひどい。「不定詞の名詞的用法」。ひどい、政治家の説明よりもあいまいでわからなすぎる。こんなの理解しろったって無理である。

例えば英語の文でShe is a beautifully personというと間違いであるが、これが何が間違いか、ということを聞かれて「あーこれは不自然だから。beautifulを使うって決まっているんだよ」では、理解度はゼロに近いだろう。「beautifulもbeautifullyもほとんど違わないのになんで不自然なの?」とでも聞かれることだろう。

「beautifullyは副詞でbeautifulは形容詞で、この場合はpersonという名詞を説明するのは形容詞だからbeautifulなんだよ」という説明は、形容詞、副詞、名詞という用語をきっちりと理解している人には有効である。知っていれば「あーなるほど」という「あるある」感を味わってもらえる。

そうでもない場合は、もっとわかりやすい例で教えるほうがいい。例えば、

「日本語で考えてみると、例えば、これは美しく花です、はかなりおかしく聞こえるでしょ?正しくは、これは美しい花です、で美しいと美しくでは一文字しか違わないけど、ネイティブが聞くとこれだけおかしい感じになるんだよ。後ろにどんな言葉が来るかによって、日本語でも「美しく」とか「美しい」とか語尾を変えるけど、それは英語でも同じなんだ」

というぐらいの説明をするべきだろう。

この言い換え、例えは、もちろんその人によって一番わかりやすいものでなければいけない。その人の趣味とか好きな物の世界で例えたりしてもわかりやすいものである。そのためにはいろいろな世界のことを知っておいた方がいいだろうし、なかなか教えるということは奥が深い。教科書を読むのは教えることではないし、自分が完璧に理解していることより、それを伝える術を持つことのほうが教えるときには重要なわけである。もし、自分のお子さんに勉強を教えているというお父さん、お母さんがいたら、何かに例えて教えてあげてみることをおすすめする。それも子供さんの好きな世界の例えで。そうすると子供さんとの距離も近づくし、子供の世界を理解することで若々しくいられるし、いいことばかりだと思う。

これからもよりよい教え方を目指して頑張っていこうと決意を新たにするとともに僕はトータルテンボスとキングオブコメディが好き、という余談で今回は閉店ガラガラにすることにする。

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Monday, July 23, 2007

 

バランス

バランスというのは何においても重要であると僕は思う。これはすべてのものに当てはまる。

例えば、仕事と家庭とプライベートのバランス。精神と体のバランス。ほとんどのものは複数の要素が絡み合ってできている。これのバランスを取ることは容易なことではない。人は試行錯誤して完璧なバランスを探し求める。そのバランスは状況、個人によってまったく異なるし、正解は自分で出すしかないとも言える。バランス感覚は人生を生きていくうえで不可欠なことであると思うし、もしかすると一番大切なことなのかもしれない。

バランスが崩れているものはすぐに壊れてしまう。仕事しかやらない人は気付かぬうちに大切なもの(家庭、プライベート)を失っていくし、快楽だけを求める人は健康を損なっていき、かといって自分に厳しすぎる人は自分を追い込み精神の健康を損なう。よく「~すぎず、~すぎず」という言葉があるが、これはまさに的を射ていると思う。

前置きが長くなったが、英語もバランスが重要なものの1つである。理論と実践のどちらも重要であることは間違いない。例えば、海外生活が長い人というのは確かに流暢性があることが多いけれど、よくよく聞いてみると中国人が話す日本語のようなお世辞にも正確とは言えない英語を話している人も多い。通じればいいか、という意識が強いとこうなってしまう。

かといって、ガチガチに文法をやって正確性は高くても実践の経験が少なすぎて、発音がカタカナだったり、話し言葉ばかり使うような英語を話す人もいるが、これももちろんバランスに欠けている。
「通じればいいか」、この大胆さももちろん必要だし、文法を理解してしっかりとした英語で伝えることも大事である。このバランスというのが非常に難しい

結局、日本人が学校であんなに英語をやるのにしゃべれないのは、バランスの欠如なのである。本当は、もっとバランスのとれた授業でなければいけないのである。正直言って、学生は1週間に何時間も英語の授業があり、しかも家庭でもかなりの時間がある。カリキュラムさえ改善すれば、相当の人が中学校・高校の英語の授業だけで話せるようになると思う。

当校は文法・語彙の重要性を説いているが、かといって実践をおろそかにするわけではない。このバランス感覚を大切にしながら、最もバランスのとれた、英語力が効率よく伸びていくクラスを提供しつづけていく所存である。

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Thursday, July 05, 2007

 

真偽を見分ける目

アメリカから深夜のショッピング番組でおなじみのビリーという人が来ていて、ちょっとしたフィーバーになっているようだ。

しかし、ダイエットに関する商品というのは、次から次へとどんどん出てくる。日本人がいかにダイエットに興味をもっているかということの証明でもあるだろう。個人的には日本人はかなりやせていると思うが。オーストラリアにいくともっともっとふくよかな人がたくさんいる。

ダイエットの商品で人気があるのはやはり簡単で即効性のあるもの。といってもダイエットは元々簡単なはずはなく、そんなすぐに体重が減るものでもないのは周知の事実である。それでもやはり人間は楽なほうへ楽なほうへと流れ、そして期待を裏切られる。医学的にみても体重が減る仕組みというのはかなり解明されていて、やっぱり基礎代謝を増やして(筋肉をつけて)、一日に取るカロリーを減らして、消費するカロリーを増やす(運動する)、ということしかないのである。

これはダイエットのブログではないので、そんなことを長々と書く気はないのだが、世にあふれる怪しげな英語の教材とかNOVAなどの英会話学校も結局同じなんだろうなと思う。それに関しては、以前にも書いたので割愛するが、売る側はうまい話で消費者をどうやって釣ろうかと考える。聞くだけで話せるようになる、睡眠学習、駅前留学、1日5分でOK・・・いろいろうまい言葉を並べて、消費者はいろいろなものに騙され続ける。

僕も一消費者として思うが、いまや情報があふれすぎて、消費者はその情報、製品の真偽がきっちりとわかる目をもっていないといけなくなってきている。例えば、雑誌で特集されたラーメン屋、特集されたからうまいに決まっている、それではいけない。誰かの情報をうのみにするのではなく、自分で判断できる力がないといけないのだと思う。

振り込め詐欺、迷惑メール被害、ワンクリック詐欺、架空請求、このような犯罪がいまだに起こるのも消費者の目が情報社会の発展に追いついていないからだと思う。学校のメールにも迷惑メールがこれでもかと入ってくるが、この迷惑メールを信じて悪徳サイトにアクセスしてしまう人がいまだにいるから、悪徳業者もこのようなメールを送りつけ続けるのだろう。皆が無視しつづければ、こういう輩も諦めるだろうに。

当校は、英語はそんなすぐにできるようにはなりません。スピーキングやTOEIC攻略に加えて、きちっと文法や単語も勉強しないとダメですよ、と勇気を持って訴えつづけている。もちろん、文法とか単語とかいうと中学、高校のときのアレルギー反応が出てくる人もいるのはわかっている。いくら、文法をわかりやすく簡単に教えます、と言っても学生時代のアレルギー反応は根強い。それでもやはり嘘はつけないし、本当のことがわかってくれる消費者の方に選んでもらいたいと思っている。

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Monday, June 18, 2007

 

海外旅行

私事で恐縮だが、親を連れてオーストラリアのケアンズへ行って来た。

ケアンズというのはグレートバリアリーフなどで有名なリゾート地である。日本からは約7時間半ぐらいで行ける。日本からのフライト時間ということで言えば、けっこうお手軽な場所と言えなくもない。

英語を学んでいる方のなかには、海外旅行が好きという方も多いと思うが、海外旅行は確かに楽しい。楽しいと同時に勉強になることが多い。

例えば今回、写真を撮ろうとしていると、こちらが「誰かに頼もうかなあ」と思う前に通りかかった人がさっと「撮ってあげましょうか?」と言ってくれたり、電話をかけようと小銭を探しているとこれまた横にいた人が小銭をくれたりした。もちろん、この人たちがすごく優しいということもあるのだが、ここに国民性の違いもあるように思う。

日本人だと、あ、あの人困ってるな、と思って助けようと思ってもなかなか照れくさかったりしてできないことが多い。これはどちらが優しいとかではなくて、ただ単に、それを実行に移せるかどうかというだけである。おそらくオーストラリア人のほうが人と人との距離が近く、他人に話し掛けることに対してまったく抵抗がないのだろうと思う。一方、日本で生活していると電車に乗っていても何をしていても他人に話し掛けたり、助けたりすることはない。

文化というのはどっちが良くて悪いということではない。お互いの文化を尊重するべきだし、どちらがいいと言うことはできないのである。よくアメリカかぶれとか、ヨーロッパかぶれとか、何でもあっちがいいというような人がいるが、これはバランス感覚に欠けているとしか思えない。そして自分の国の文化のいいところがわからないのはまったくもって哀れな事だと思う。

だからといって、他の国の文化をすべて却下するわけではなく、要は自分の哲学、志向、価値観に合うものだったり、自分がいいと思うものをどんどん吸収して人間的によりよく、器のでかい人間になっていけばいいのだと思う。そしてそういう自分にとってプラスになるものに出会えるチャンスが海外旅行ではないかと思う。

次は韓国に行こうと思う。韓国は古き日本が持っていたいいものをいまだに持っている国で好きな国の1つだ。また勉強になればいいなと思う。

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Monday, May 21, 2007

 

文法の話

たまには英語そのものの話もしてみようと思う。

当校では文法をしっかりと勉強して英語力のより速い伸びを目指している。なぜ文法を勉強すると伸びが速いかというと、これはひとつの英語に触れたときの吸収力が上がるからである。それは他のコラムで詳しく述べているのでさておき、学生時代、英語を嫌いになるきっかけを考えてみると

1、不定詞
2、現在完了
3、関係代名詞
4、冠詞
5、前置詞

こんなところだと思う。特に不定詞と現在完了はかなりの人が挫折を味わうのではないだろうか。僕も学生時代、正直言って英語は好きではなかった。教科書に載っている不定詞の説明は、今見ても全然足りないように思うし、「形容詞的用法」とか「副詞的用法」だとかなにか曖昧模糊とした気持ち悪さを持ったまま勉強していた。形容詞的用法ってのは形容詞じゃないのかな??とかそんなことを質問しても明確な答えは返ってこなかったりする。次の不定詞は何用法ですか?なんていう問題がテストに出てくるけれど、今思えばそんなの見分ける必要はあまりない。

その文法を実際に会話やTOEICで使うためには、しっかりと根本から理解している必要がある。学生時代の勉強はただのテストのための勉強だけれど、使うための勉強はまた違うわけである。例えば不定詞だったら、元々これはtoという前置詞だったものを動詞の前につけるわけで、toの「方向」というニュアンスが入っている。つまり、どういうことかと言うと、不定詞はすべて「これから(未来へ向かって)」という以降性を持っているのである。そういうことを理解すると、なぜplanやhopeの後に目的語として不定詞を持ってくることができるのかということが理解できるようになってくる。

要は、「暗記」ではなくしっかりとした「理解」が必要になるわけである。「覚えさせられる」勉強から「自分で考えて理解する」勉強へシフトすることが成功への鍵になる。

大人の英語の勉強は、なかなか大変である。しかも学生時代より時間がない。「あー学生時代、もっと英語を勉強しておけばよかった」という人が多いのも仕方ない。けれど、学生時代より数段高いモチベーションを武器にぜひとも目標を達成してほしいと思う。

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Thursday, May 10, 2007

 

英語総合即戦学校が目指すもの

英会話学校の解約トラブルが最近話題になった。なんでも解約するときに最初に契約したときの値段よりもはるかに低い金額しか返ってこなかったというものである。そして生徒側は裁判を起こし、勝訴。同様の苦情が過去に数千件寄せられているそうだから、むしろこの裁判は遅かったぐらいかもしれない。

この話題になった英会話学校だけでなく、僕が働いていた某英会話学校でもこのようなトラブルはよくあった。なぜ、このようなトラブルになるかと言えば、まず第一にどの学校も何十万という高い契約を最初に結ばせる形態になっていることが挙げられる。通常、1年もしくはレッスン百回分という単位で契約を結ぶ事になり、総額は何十万というお金になる。

生徒は最初にお金を払い、途中で嫌になって辞めようと思うとこのような高い(実質的な)解約料を払う羽目になるわけである。詐欺同然と思う人がいても不思議はない。

これに限らず、とにかく英会話学校はいい言葉で言えば、ビジネスライクである。悪い言葉で言えば、金儲け主義。「理想のレッスンとは何か?」を追求するのではなく、「どうやって生徒を集めるか、つなぎとめるか」に焦点を置く。もちろん現場に立っている講師の多くは教える事が好きで、理想のレッスンとは何かということを考えている人が多いのだが、あまりに縛りが多く、理想のレッスンを作り上げるということは不可能に近い。

ほとんどの英会話学校が、日本の経済が急速に発展した30年ほど前に創業している。日本人がどんどん豊かになり、海外が身近になったころ。「高いけどなんだかおしゃれな習い事」。それが英会話だった。バブル期を迎え、生徒はどんどん増え、英会話学校は隆盛を極める。

時は経ち、バブルは弾けた。今やリストラも驚くようなことではなくなり、終身雇用を望む人も減っている。転職が当たり前になり、それに伴ってTOEICなど資格試験の重要性が高まっている。

それに引きかえ、英会話学校はどうかというと、残念ながらバブル期のままである。いまだに「高いけどおしゃれな習い事」を提供し続けている。もちろん、それは悪い事ではない。単なる趣味の習い事としての英会話を求めている人もいるわけだから。

問題は、能力としての英語、仕事で使える本当の会話力、TOEICスコアアップを望む人が通える学校がないということである。「なんとなく単語をつなげてコミュニケーションできる」会話力ではなく、「細かいニュアンスもきっちりと伝えられ、仕事に役立てる」会話力、そのためにはもちろん文法、語彙は避けて通れないが、英会話学校では残念ながらこのような勉強はしない。英会話学校のレッスンは、誤解を恐れずに言えば、「ネイティブと話すことによってなんとなく英語に慣れてください」というレッスンだからである。

努力なんかすることないですよ、英語は努力しないでも話せるようになります!と言うほうが生徒を集めるには効果的かもしれないが、正直言って嘘はつけない。僕らは、生徒をどのように集めるかにフォーカスするのではなく、理想のレッスンを追求していく。そして、その理想のレッスンを提供することによって、当校に合う人は自然に集まってくると思う。

英語総合即戦学校は、例えば「オレ達、大学生だからとりあえず遊ばないと!」と将来のことを考えずその場の楽しさだけを求める人ではなく、「大学を出てからが勝負だ!今のうちに勉強しておこう!」という将来を見据えての努力をいとわない人のための学校でありたい。

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Wednesday, April 25, 2007

 

英語とダイエット

英語とダイエットは似ている、と思うことがよくある。

どちらも日本では多くの人がトライしているものである。いまや、仕事後に通うものとしては、ジムが一番人気があり、そして習い事として人気があるのは英語だろうと思う。10年間で抗議が7000件だかの英会話学校がやっていけるということは、それだけ多くの人が通っているということでもあるのだろう。

どちらもはっきり言って通いはじめるのは簡単で、しかもお金を払うわけである。あたかも何かを買うのと同じように感じ、お金を払った時点で何かを手にした気になる人が多い。しかし、ダイエットも英語もはっきり言ってそんな短期で効果は出ないし、通うだけでどうにかなるものでもない

ダイエットというのは、医学的に考えれば、筋肉をつけて基礎代謝をあげ、食生活に気をつけるしか結局ないのに、何かもっと楽な方法がないかと考えてしまうし、焦って短期間で体重を落とそうとする人も多い。そして医学的に言えば、筋肉というのは今日腹筋を300回やってあと29日何もやらないというよりも、10回を毎日続けるほうがはるかに効果が高い。つまり、毎日こつこつと続けるしかないのである。

こつこつ。地味に。着実に。言葉としては魅力的に感じないのかもしれない。けれど、成功する人は必ず長期的な視野で物事を見れる人だと僕は思っている。そして、この遠くにかすんで見えないものに対して、自信を持って一歩ずつ進んでいけることこそが王道なのだと。

特に社会人になると学生のときほど時間もなくなり、勉強に割ける時間が格段に減る。つまり毎日やれる量が少なくなり、より歩みが遅くなるわけである。ここで焦ってはいけない。歩みが遅くなってもやるべきことは一緒で、あとはどれだけ時間を有効に使っていくかなのである。

英語の勉強はもちろん学校に通わなくてもできる。ジムに行かなくたってダイエットはできる。それでは、英語学校の意義は何なのか?というと生徒の目標への最短距離を弾き出し、時間を有効に使って、無駄な遠回りをしないようにすることにある。何を勉強するべきか、どのように勉強するべきか、的確に導き、壁に当たったとき乗り越えるのを助けていく。

通ってくれれば、話せるようになります、という言い方はひどくうさんくさくて、また高慢であると思う。英語はそんなに簡単ではないし、ジムに通うだけでダイエットができないように、結局は生徒の皆さんに勉強してもらうしかないのである。学校が代わりに単語を覚えてあげる事はできないけれど、この単語を覚えた方がいいですよ、これは別に必要ないです、というアドバイスは学校にできることである。そうやって生徒は、無駄なことをすることなく最短距離を進んでいける。

英語のマスターのための最短距離を歩むためには、文法、語彙のマスターが結局一番の近道なのに、それを避けて通ろうとして、結局まったく前に進んでないことに気付く人がどれだけ多いことか。怪しいダイエット食品に手を出して、結局リバウンドして増えてしまったというのと一緒である。

これからも英語総合即戦学校は、文法、語彙の重要性を訴えていく学校でありつづける。そして、それが正しいことは生徒の皆さんの伸びが証明しつづけてくれるものと思う。

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Monday, April 23, 2007

 

ホームページリニューアル!!

ついにホームページがリニューアルしました!

週末しこしこと作業を続けてきましたが、ようやくリニューアルできました。
それに伴い、このコラムもブログ形式にしてみました。
googleのIDを持っていれば、コメントを書き込むこともできるようです。

また、過去に書いたものも当校の考え方等を知るのに役立つかもしれませんので、順次こちらにアップしなおしていく予定でいます。

これからも英語総合即戦学校をよろしくお願いします。

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